不動庵 碧眼録

武芸と禅を中心に日々想うままに徒然と綴っております。

みえてきたもの

昨日、短いブログを上げたところ、何か私に嫌なことが起きたのかと勘違いした友人数名からメッセージを頂きました。本当に有難い・・・ですが、その逆、人生でも希な慶事ががあっただけです。ご心配いただき、誠に嬉しく思います。

ある程度努力する人は(私が努力している人の範疇にあるかどうかは別として)人生の中で何度か、ボーナスのようなものが下されます。例えば私の場合は武芸。武友の中には日々の精進がめざましく、日々の積み重ねでやがて高みにいるという、素晴らしい方もいますが、私の場合はのらりくらりとしかし工夫を凝らしてあれやこれやして、時々努力。数年に一度、ドンと持ち上がった感があります。平均すると5-8年に1回でしょうか。

ま、今回は”ボーナスの支給予定日通知”みたいな慶事ですが、これと同じぐらいの慶事は息子が生まれて以来のような気がします。

良いことばかりではありません。生活の中に在って、どんどん要らぬものを斬り捨てていかねばならなくなったというのもあります。生きるに当って主要任務でない事柄はなるべく斬り捨てていく、死ぬまでに極力シンプルにしていくことこそが本分を見極めるために重要なことではないかと思う次第です。

不思議なもので自我を沈降せしめればせしめるほどに、他者との縁の深さ、己が本来すべき事が自然現れてきます。時間や空間を経ている縁の繋がり、神秘的な吉祥が荘厳な趣で見えてきます。人によっては己が為さねばならぬ、例えば使命などがもっと若くして見えてくるものなのでしょうが、私の場合はこの年齢で見えてきた気がします。

子供の頃に通っていた仏教寺院経営の幼稚園で毎朝寺の前で唱えていたこと、小学校で経験したこと、中学高校で何となく思っていた国際的な仕事をすること。それ以後に多く学んだ日本の素晴らしさ。こういうことが徐々に集約され、自分の前に示されてきた、それに対して私は責任ある行動を示さねばならないと感じました。

平成二十五年神無月十日

不動庵 碧洲齋