不動庵 碧眼録

武芸と禅を中心に日々想うままに徒然と綴っております。

渡邉美樹議員について

色々と物議を醸している、渡邉美樹参議院議員ですが、ふと思ったことなど。

ブログやHPやウィキペディアを読みました。書店で著書も読みました。

少年時代に母親と死に別れて父の会社も清算され、一時期ですが信仰を持ちました。

高校や大学出は非常に勉強家で活動的だったことが分かります。

卒業後は明確な目標のために貯蓄して会社を持ち大きくしたのはご存じの通り。

その後、議員として立候補しました。

いいところから書きます。

私もそうでしたが、今の日本の若者にはあまりパワーを感じられません。

もちろん親の経済状況が良くない家庭も多いですから、簡単に留学や学費のかかる高校大学に行くのは難しい事です。私は大して勉学に励んだタイプでもなかったのに私の教育のために大金をはたいてくれた両親に今でも頭が上がりません。

渡邉氏はやはり家庭が苦しい状況であったことや野球が好きだったこと、そういうときに信仰を持ったことなどが相互に影響をもたらして今のようになったのではないかと想像します。

私の経験では日本にはこの手の経営者があまりにも少ない。みんなが寄らば大樹の陰的な生き方です。私も独立独歩とは言いがたいですが。欧米はもちろん、中韓でも一人社長から社会に出てビッグになろうという人が非常に多い。こういう風潮はこういう風潮で良くないこと、悲惨なことも多々あります。生き馬の目をくりぬくかのような凄惨な資本社会活動に対して日本人がある意味冷ややかなことも、日本社会では理解されます。本当にそんなところに人間の求めるものがあるのか、とか。一部の人間の熱意に賛同して燃え上がる、これが日本式のような気がします。いけないとかいいとか言うつもりはありません、今の世界における日本の地位を観れば一目瞭然です。本当にそれだけです。究極の理想郷にするならブータンみたいな暮らしを覚悟する必要があります。経済的にもっと上を目指すなら、欧米人のような思考形態を必要とします。私は日本のやり方でベストを尽せば良いと考えています。

渡邉氏はかなり崇高な理想を持っていることがよく分かります。飲食業以外にも色々手を広げていますがとても精力的です。教育に関わったり介護医療に関わったり、政治家にもなった辺り、その理想の高さを伺わせます。こういう複合的な視野を持てる人材というのは人が少なくなってきた日本においては得がたい人材だとも思います。

私は留学時代から信仰のある人と何人も接してきました。外国人について言っても仕方ないので、日本人に絞りますが、カトリックや各新興宗教など。エホバの証人創価学会や立正校正会でしょうか。これらを信仰している人たちには共通点があります。それは仕事や生き方に対する熱意の高さ。この熱意の高さには舌を巻くことが多々ありました。仏教に関しては「信仰」とは言いません。「帰依」です。信仰とは少々違うのですが、私も遅まきながら禅仏教に帰依するに至って、彼らの気持ちがよく分かってきました。できたら後20年早く知りたかったところです。まあ後悔しても始まりませんけど。

新興宗教イコールカルトみたいな偏見が日本にはありますが、(まあ海外でもあります)オウム真理教みたいな社会に害を為す場合へ別として、今に至って存続している宗教には必ず理由があります。

・・・とは言え、短所もよく見えました。全員ではありませんが、日本人で信仰を持つ人にはとてもアンバランスな部分が多い。これはもしかしたら日本人に特に多いのかもしれません。自身の心身の体調や人生のバランスを崩すまでそれを止めない、周囲を巻き込んで迷惑がかかっているのに止められない、そういうアンバランスさを信仰を持っている日本人のかなり多くからは見受けられました。欧米人にも信仰が強い人はいますが、日本人のようにバランスを崩してまでムキになる人は少ないように思います。

日本人は何事もバランス重視なのだと思います。例えば戦国武将、織田信長など一番の合理主義で、生きていたら日本の歴史ががらりと変わり、或いは今のアメリカと対等な強さを誇ったかも知れません。しかし彼は非業にも暗殺されました。それよりはややましな豊臣秀吉でさえも血統の継承は許されませんでした。個人的には一番つまらなさそうな(失礼!)徳川家康が結局、笑います。もちろん年齢的なものもありましたが、やはり日本人に一番ウケがよい生き方だったと思います。

そういう意味で家康が切支丹を排除しようとしたという理由は何となく分かる気がします。一点集中、アンバランスなものは日本に合わないと感じたのかも知れません。

渡邉氏にはそういう点が見え隠れします。

彼の激しさがいけないという意味ではありません。本当に残念なことに、世界が狭くなり、地球上どこにでも行ける時代に在って、日本人の思想哲学だけを押し通すわけには行かないのです。

日本人のものの考え方は長期的に見るととても優れています。これは私が実体験として感じたことです。根拠のない愛国者や無知蒙昧な右翼思想ではありません。しかしそれを以てしてもそれだけでは現在から未来に至って日本が生き延び、反映させるにはいささか役不足であることは間違いありません。

そういう意味で渡邉氏の哲学はきっと日本の未来に一灯を投ずるものだと思っています。一生懸命になったり、厳しく辛いことをしたくないばかりにアンチ渡邉に走るというのは亡国の徒でしかありません。国民が少ないのです。子供を5.6人も作れば1人か2人はまずまずの税金や能力を国家繁栄のために貢献できるかも知れませんが、今は1ポイント何人というとても寒い数字です。結婚は愚か彼女もいないという人が多い。人類の半数を占める女性と交流も持てない程度のコミュニケーション能力しかない男(もしくはその逆でもいいですけど)しかいなかったら、崇高な愛国主義民族主義も絵に描いた餅に過ぎません。

結婚もせず、彼女もおらず、せっせとネットで中韓反日コメントにかっかしながら反論(しかも日本語で・笑)するヒマがあったら他にすることがたくさんあるだろうが、と呆れてしまいます。そんな連中が例え靖国神社に参拝しても、英霊たちは呆れるばかりで何もしてはくれません。せいぜい縁結びの御守でも買って、良い出会い、良い家庭、なるべく多くの家族を作ってください。それが良い未来を作る一番楽で確実な方法です。これは理念上とは言わず、初歩の経済学的にも間違いない方法です。

渡邉氏がよろしくないのは自分のその哲学を他人に押しつけていること。宗教の布教みたいなものならいざ知らず、経済的に主従の立場にある、或いはサービス提供にあって優位な立場にある者が、そのような経営哲学なり人生哲学を周囲に押しつけ強要すること、これが周囲からひんしゅくを買っている根源だと思います。こういう人に憧れるのはとてもよいこと。大いに勧めます。自発的に彼を師とあがめて積極的に学ぶことは大きな利益をもたらすと思います。しかしそういう立場の人間が自分の哲学を他人に強要してはいけない。それは専制君主政治や独裁政治と同じ。会社がブラックと言われても仕方がない。自分の価値観を他人に強要する、中国や北朝鮮、社会としては韓国でも普通に行われていますが、こういった行為は世界ではよいと思われません。特に日本ではそういう風潮が強い。

桃李もの云わざれども自ずから下蹊を成す、の諺の通り、本当に優れた思想、行動理念であれば、強要したり喧伝したりする必要はありません。彼の行動哲学は優れた部分が非常に多いのは間違いありませんが、それを敢て強権的にゴリ押しする部分に問題があります。とても残念です。

これだけの偉業をやってきたのだから、黙々と遂行して「俺に黙って付いてこい」というセリフを背中で語っても、かなりの人が納得できると思うのですが、本来自分だけの哲学を他人にも押しつける辺り、日本の未来を本気で危ぶんでいるのか自信のなさか、今しばらく見守っていきたいと思います。

平成二十五年長月十日

不動庵 碧洲齋