不動庵 碧眼録

武芸と禅を中心に日々想うままに徒然と綴っております。

マオリ族の風習 日本の風習

先住民族マオリ女性の入浴拒否 北海道・石狩管内の温泉、顔の入れ墨理由に

http://www.hokkaido-np.co.jp/news/donai/491172.html

私はまず、マオリ族の風習よりは日本人の立ち位置を考えてみたいと思います。

日本は大陸より絶妙な距離に位置しています。イギリスのドーバー海峡のように泳いでこられる距離ではありませんが、さりとて絶海の孤島になる距離でもありません。

かつてかのドイツ参謀本部はこの環境を「陸軍50個師団に相当する」と言ったそうです。

それは多分本当でしょう。これであと20倍大きくて地下資源があってもう少し離れていたら、世界警察を自認するオレサマ国家みたいになります。

日本は西洋人が考えている先進国と比べてその特殊性がかなり抜きん出ています。

先進国と呼ばれる国の中では一番後に入ってきました。

先進国の中では桁違いに古い歴史を持った国です。

国外に日本語や文化の影響を今なお受けている国はありません。

先進国として今なお植民地ないしそれに準じる影響を与えている国がありません。

先進国では唯一のアジア国家です。

先進国では唯一の黄色人種です。

先進国では唯一の非基督教圏です。

他民族を弾圧したことがありません。

(ま、されたと主張するところもありますが、それは多分本当の植民地政策がどんなものか知らないのでしょう)

他民族に弾圧されたこともありません。

1民族1国家を1000年単位で維持してきている。

宗教的な紛争もほとんどなかった。仏教が取り入れてからでさえ。

世界には色々な国がありますが、ここまで奇特な国家は他にありません。

正直言って、西洋人の深層心理では不気味な存在と思っている人もかなりいます。

これが裏返しに日本文化マニアを産んでいる土壌かも知れません。

私は多くの外国人たちと語り合っていて、そういう風に感じることが多々あります。

さて、上位のような理由から、世界でもトップクラスの先進国だというのに、「外国人」と接してきた歴史が非常に少ない。「外国文化」を取り入れてきたことが少ない。ここで言う「外国文化」というのはチョロチョロ入ってきては自国流にアレンジするというような悠長なものではなく、ドカドカと入ってきたという意味です。

この基準は国民の資質にかかっているので何とも言えませんが、例えば中国や韓国ではこの半世紀で「お辞儀」は壊滅的です。ほとんど握手になってしまいました。しかし日本はどんどんブラックホールのように東西の文化を取り入れながら、根幹は傷一つ付いていない。ま、危ない状況ではありますが。

外国の文化に対等に向き合った経験がないというのでしょうか。常に国内の複数の民族対立や、国境に接した国との戦争に悩まされてきた国々からしてみたら何と贅沢な悩みかと叱られそうです。

科学の発展で交通機関の性能が良くなり、世界は以前に比べて小さくなってきています。日本にも毎年ものすごい数の外国人が来日します。インターネット上ではいつも会うことができます。

そして今度は東京オリンピックが開催されます。半世紀前のようなお祭り騒ぎではなく、普通に外国人が多い状況になるでしょう。

今に至るまで植民地から蚕食してきて、しゃぶりつくしているような宗主国家がいわゆる「国際社会に通じた国家」と勘違いされています。日本は正直の上にバカが付くほど真面目に併合した土地に教育やインフラを整備して、戦後裏切られても長らく黙っているほどの国家です。この違いです。

ちょっと皮肉が過ぎましたが、日本人の基準で国際感覚をつけた方が良い思っています。西洋人に真似る必要はあまりありません。あれは思い切り上から目線です。

ニュージーランドに仕事で1週間ほど行ったことがあります。

その時意外に思ったのはマオリ族の方が結構街で働いていたことでした。

聞けば国策でマオリ族を街に出し、教育させて、入植者の子孫と同等に扱っているとか。

ただし、白色人種のニュージーランド国民からも、マオリ族の方からも「国策のパフォーマンスだ」と同じ意見を聞きました。私もそう感じました。なので多分本当でしょう。若い世代にとってそれがいいことか悪いことかは分かりません。楽しそうにしていた人も確かにいましたから。

その時豪州からニュージーランドに飛んだのですが、豪州では街の中でアボリジニーを見ることはあまりありません。話を総合すると彼らの文化は相当違っているようだとか。豪州にいたときの政府の対応も彼らの文化に対してはあまり親和させるという風ではありませんでした。もっとも侵略してきて親和もなかろうとは思います。

そういう気苦労を日本人はしてきたことがありません。

欧州諸国は植民地を作ったがために、移民政策に大きく不可を唱えられなくなりました。それはそうです。植民地の資源で本国が豊かになったのですから、人権意識が高くなってきた現代ではその代償が求められます。併合という、植民地とは全く別の形態で統合された民族が未だ日本にいて、問題視されることもありますが、欧米諸国のスケールに比べたら問題の内にも入りません。

日本には日本の刺青文化があり、マオリの方々が主張するのと同じぐらい反論できる土壌が日本にもあることを忘れてはなりません。無闇に国際化だとか言って例外を設けるのはどうかと思います。こう書くと今回の処置が正しかったと思われそうですが、そうではありません。どちらかというとこの対応には反対です。私なら入れてあげます。しかし国民の多くがそれを理解した上でそうしなければならないと思っています。

例えば都内で米国人と思われる外国人に「hello!」と言って道を聞かれる。日本人は大抵何とか英語で対応してあげようとする。オリンピックなどがあるときは多少は違うのかも知れませんが、いきなりの挨拶も英語ということに何の疑問を感じないのが問題なのです。日本人なら決してニューヨークのど真ん中で「こんにちは」なんて言わないのと同じです。米国は建国してまだ237年、対する日本は神話の時代から数えたらその10倍以上です。小学校低学年の子供が老人に向かって無礼を働いているようなものです。私などは意地が悪いのでいきなり「hello」と言ってくる外国人にはいよいよ最後の手段にならない限りは日本語だけで対応します。四苦八苦挨拶や定型文で日本語を使おうと努力している外国人には英語で良かったら・・・と切り出します。これだけで日本人に誇りがあると思われます。バカみたいに愛国を叫んだり反日を罵るのが愛国などと勘違いしたらご先祖様に申し訳が立ちません。

こういう地面に足が付いた祖国の理解や海外の理解があって初めて、刺青があっても入れる、入れないの判断なのです。オリンピックまでにどこまで理解が深まるか分かりませんが、息子や私の親しい友人たちには海外から敬意を持たれ、かつ恥ずかしくない日本人として、多少なりとも助言が出来ればと思っています。

平成二十五年長月十四日

不動庵 碧洲齋