不動庵 碧眼録

武芸と禅を中心に日々想うままに徒然と綴っております。

要らぬもの

ロシアに観光で行く人はここ最近では増えてきたとは言え、ビザ取得という面倒な手続きがあることからなかなか敬遠する場所の一つではないでしょうか。ビザ取得のための書類を揃えるのも個人ではなかなか面倒です。噂によると、今後はビザの取得方法が簡易になり、いずれはノービザになるとのことですが、是非ともそうなって欲しいですね。

旅行中、ロシア友人らとビザの話になりました。日本では世界に195カ国あるうち、150カ国以上でノービザであることにかなりの衝撃を受けていました。(最初は意味か数字を計りかねて沈黙したほど)ちなみにロシアではその半分以下ぐらいだそうです。(CIS諸国を含めても)

ビザの場合、単にその国の経済力や軍事力があるという理由で免除されるわけではありません。その国の国民がどれだけ信頼に足る人間かを計るという意味です。日本は世界で4番目(1位との差は4カ国分だけ)ですが、日本人はそれだけ信頼に足る民族と言うことになります。

ビザを取得する手間を考えると日本人の品位の高さはありがたくもあり、そして我々自身で守っていかねばならないものだと痛感させられます。一部のズレたお馬鹿な連中が為に日本人品質を落としたくはないものです。(今ですら十分危ぶまれてますから)

モスクワの景色をよく見ていると、時々地面から緑色に塗装された排気筒のようなものが突き出ているのを見かけます。時々コンクリートの四角だったりします。あちこちに控えめに立っているので気付きにくいかも知れません。あれは何だかご存じでしょうか?実はそれらは冷戦時代に建設された核シェルターです。モスクワには結構な数の核シェルターがあります。現在は秘密でも何でもなく、中には観光に転用されたりバーやスポーツジムになったりして利用されていますが、大方は放置されたままになっています。そもそもソビエト建国の父、レーニン像すら撤去されるか、撤去する費用もままならない地方都市もあります。

米国に比べてなけなしの、しかし膨大な予算を核シェルターにつぎ込み、挙げ句の果てに使われぬままに朽ち果てていく。平和の象徴と見るべきか、人類間の滑稽な闘争の象徴と見るべきか、いつも考えます。

最近、私は何かを買う折はなるべく「それは必要だから買うのか、欲しいから買うのか」と自問します。欲しいから買う、というのが全くなくなるのも人間的な生活とも思えませんが、それが明らかに多すぎる現代、少々の我慢は人間を磨くものだと考えます。・・・と、そこまで崇高ではありません(笑)。人生80年としてその半分を超えた私にとってはピークを過ぎたら徐々に持ち物を減らしていこうと思い付いただけです。ものすごくいいものをちょっとだけ持ったまま死ぬ。結構カッコイイ死に方だとは思いませんか?ガラクタに埋もれながら寿命を終えるのは私には格好悪いことこの上もありません。これは男の美学として、持ち物を減らすことを良しとしています。

何かの言葉ですが、人は生きるためには実はそんなに多くのものは必要ではないというのは真実のように思います。

平成二十五年葉月二十日

不動庵 碧洲齋