不動庵 碧眼録

武芸と禅を中心に日々想うままに徒然と綴っております。

「それ」に居着くべからず

今回の露国訪問時でのこと。

私は5.6人の友人と長距離列車に乗るため、たまたま駅近くの食料雑貨店の前にいたのですが、そこで偶然にも長モノ武器を複数と木刀とおぼしき武器、大きなバッグを担いだ同門武友が食料雑貨店から出てきました。

傍目なので少々無責任な言い方で済みませんが、いかにも誇らしげで、肩で風を切るかのように駅に向かって歩いて行きました。

5.6人もの知人友人のすぐそばを気付かずに通って・・・。

後で一緒にいた友人に聞いたところによると、彼はこれから演武だったかセミナーだったかに行く予定とのことでした。

彼の目はこれから行われようとするイベントに釘付けだったという事ですね。

彼の技量は前に見たことがありますが、まあまあ悪くはなさそうでした。が、武号をせがんだり、イカす道場名を求めたり、いささか権威主義というか、まあそんな感じでした。純粋なのか悪気はないのか、ともあれどうでもよい部分にのめり込むタイプのように見受けられました。

もし彼がアスリートであれば、まずまずのモノではなかったかと思います。しかし残念ながら彼は一武芸者。5.6人もいた同門のすぐ横を通ってそれに気づかぬとはいささか情けない。これから行われんとするショーに心を奪われて、それ以外に目が行き届かないようでは武芸者としては問題があります。ましてや長モノの武器を持っている場合は通常以上に周囲に気を配る必要があります。

これは何も武道に限った話しではなく、日常においても然り。

大学受験に一点集中し、受かったら呆けてしまっては意味がありません。

仕事でも重要案件を片付けながらも次の準備や他の小事もおろそかにしないぐらいのものでありたいところです。

そうすることで例えそれが失敗しようとも、全力で打ち込めば悔いはなく、かつ次の手を打てるというもの。

心身のバランスを失わずに済むというもの。

賢いのに強いのにバランスを失い、あられもない姿をさらしてしまっては元も子もありません。

一点に集中すべからず、一つに居着くべからず。一挙手一投足において不用意ならず、手抜かりなく。万事においてこのような努力を怠らぬようでありたいところですが、そういう意味においても日本文化の所作、習慣などは禅や茶道、武道などでも分かるようになかなか良く考えられて構築されたものではないかと思います。

平成二十五年葉月二十日

不動庵 碧洲齋