不動庵 碧眼録

武芸と禅を中心に日々想うままに徒然と綴っております。

平和の作り方

昨今のネット上を読み歩いていると、どうにも不毛な発言が目立ちます。特に中国や韓国に対する非難合戦は全く以て日本人の品位を下げている以外に決定的な影響を感じません。例えばそもそも世界では日韓の非難合戦などかなりのローカルな出来事、あまりニュースにもされません。ま、日中問題の方はさすがにどちらも世界に大きな影響を与えている大国同士だけあって、大いにニュースを賑わせてはいますが(苦笑)。

ネット上で尖閣諸島竹島北方領土の領有を強く主張したり、或いはその逆、どうしても南京虐殺従軍慰安婦問題があったことにしないと気が済まなかったり、過激に愛国主義を訴えたり、反日国家を叩いたり、まあ、私も愛国者としては恥ずかしくはないレベルだとは思いたいのですが、そこでふと、思うところがあります。

「ところで、相手の国民とサシで話したことがあるの?」

20年前ならいざ知らず、現代においては時間も距離も相手方と話せない理由にはなりません。IT技術は時間や距離の壁をいともたやすく打ち破っています。

SNSやブログで交流を持ったことがありますか?

ネット上で外国の人たちに意見を述べたことがありますか?

彼らの意見に耳を傾けた上でネット上で彼らに反論したことがありますか?

彼らの文化によくよく親しんだことはありますか?

言葉の問題はまだまだ不完全とは言え、これもネット上の翻訳サービスで何とでもなります。

交流を持ったことがある上で主義主張を述べるならいいのですが・・・。

ない?そう、それこそがまさに戦争の始まりです。

某監督の「耳をすませば」ならぬ「耳をふさげば」の様相です。

戦争は発砲したところで始まるわけではありません。

戦術機動を起こしたところでもありません。

多分、相手のことを見なくなったり、聞かなくなったりするところから始めるのだと思います。戦争は軍隊が始めるものでなしに、往々にして民衆が始めてしまうものです。

権力者が始めたといっても、民主国家ならそれも言えません。始めたのは疑いもなく目と耳を自らふさいだ民衆です。

私は周辺諸国の人々と語り合ったことがあります。

ロシア人同門と北方領土問題について何度も語りました。

弊社の中国人社員たちと南京大虐殺とか尖閣諸島についてもじっくり話しました。

韓国人留学生と併合時代の話しもしました。

韓国には行ったことはありませんが、中国には香港を含めて2度、ロシアには4度行っています。

うちの会社の中国工場からは断続的に研修生がやってきますので、ヒマさえあればよく語り合います。

そういう意味では、私は少しはエラそうに主張はできる権利はあると密かに思っています。

しかし国内を見渡すとあまりにもこれらの国の人たちと語り合ったことがある人が少ないので、本気で危惧しています。

平和はどうやって創っていくものか、考えたことはありますか?

反戦キャンペーンに参加したり賛同したり、難民援助をしたり、幾つか方法がありますが、私の場合は「相互理解」。

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同門後輩と彼の弟子たちと。川口市安行、峯ヶ岡八幡神社にて

日曜日、同門米国人後輩が自分の道場の祈祷をしてもらうために一緒に神社に行きました。

祈願内容は「武運長久」。1週間ほど前、これを申し込んだ折、受付のおばあちゃんは祈願内容と申込者の国籍に対して色々な想いを込めてほがらかな笑いをしていました。私は彼女の笑いが理解できます。日本人なら出来ると思います。

日曜日はあの暑い中、米国人同門後輩は羽織袴に大小を差して彼の弟子たちを引き連れ参拝、神社の本殿にて彼の道場の武運長久祈願を執り行いました。

祝詞は結構分かりやすかったので、あとで宮司さんに尋ねてみました。すると、七五三や結婚、成人式など、よく使われるものには一応定型の祝詞があるようですが、「武運長久」となるとなかなかないので、最初から全部筆を起こしたとのこと。宮司さんも八幡神社故に本来中こういう事ももっとあってもよいはずなのに今までほとんどなかったとは、とおっしゃっていました。彼自身にもとてもよい経験だったとか。いやいや、有難いことです。また、特別に1枚だけ、内部で撮影させて頂きました。彼らも初めての経験に古代から脈々受け継がれてきている日本の伝統や文化を十分に感じてくれたようです。

ご祈祷を受けた後、我々は神社と社杜を一周し、帰路に就きましたが、参道の途中に先の大戦で戦没した人の為の祈念碑がありました。米国門下生達は無論、それは読めませんが、それを不思議そうにずっと眺めていたのがとても印象的でした。訳してやるまでもなく、その感じを持って帰って、武芸に励んでもらう、これだけで十分です。

この神社でも数え切れないぐらい多くの出征将兵が米英を撃滅せんがために「武運長久」を祈願したことでしょう。一体何人ぐらい戻ってきたのか。70年後、今度は米国人が日本の武芸を以て世界の平和に貢献したいと「武運長久」を祈願に来ました。黒が白になった瞬間です。こういう時は世界平和に貢献していて、ほんの少し、よくなったのかなと感じる瞬間です。こういう機会を時折持てるのは私の醍醐味でもあります。

私の祖父は32歳で戦死しました。子供達には決して憎き英米を忘れるなと思っていたでしょうか。多分違います。自分たち以後の子供たちが戦争で死ぬことがないように願ったと思います。祖母もそうでした。ガンで入院し、死ぬ少し前からアルファベットを学び始めました。相手を知ること、このくらい平和に寄与することはないと母に言ったそうです。夫を殺した米国を憎むでなく、もっと相手を理解することをよしとしました。私の両親の世代は日本を再興しました。そのおかげで私は平均的な日本人よりはやや、国際社会に生きています。私は祖父母や両親の願っていることをなるべく忠実にしているだけです。息子はもっと世界の人たちとごく普通に暮らすと思います。私には分かります。いや、親ならそう思わねばダメです。

靖国神社にも年に何度か息子と行きます。しかし私は英霊に「国を守って下さい」という恥ずかしいお願いは決してしません。死んだ後でも頼られたら、死者はたまったものではありません。私と息子はこれこれこういう事をして、世界の人たちともっと仲良くなれました、とか、そういうことを報告します。これは靖国神社だけですが。私の祖父たちが命を擲つに値する世界であることを報告します。数百万の英霊に頼るのは間違いです。人事を徹底的に尽して天命を待つ、生きている人間がよりよき世界を作るためにあらゆる努力せず、既に戦って亡くなった英霊たちに何をや頼み込むというのですか?愛国の情や忠誠心だけでは、人類普遍の平和は地球がなくなるまでやってきません。私は私と息子が世界の平和の為に、ささやかではあっても、現実の活動ををする限りにおいては、英霊たちは間違いなく私と息子には手を差し伸べてくれると思っています。

お釈迦様がおっしゃったように、人は生まれつき口の中に斧が生えていると言います。私もまあ歳の割には軽率だったり、思慮が足りなかったりしますが、例えば世界でも片手の数以下の反日国家に感情的な罵詈雑言を浴びせたり、徹底口撃を加えたりすることで世の中がよくなるとは思いません。(もちろん、国内における外国人犯罪や、近隣の情勢を見るに、基督教徒的な寛容さばかりを謳っているのも単なるバカモノですが)そう言う人たちは多分、英霊たちの御加護は、間違っても受けられないことは明白です。

日本国民として品性を貶めるような言動をするよりも、ほんの少し、ネットからでもいいので、他国の人たちと語り合う、できたら実際に会って信を深める。これをするだけでかなり違ってくるものです。

日本を好きでいてくれる国は世界の大多数です。「己を愛する者を愛したからとてどれほどの価値があろうか。そのようなことは罪人でも行っている。」これは聖書の言葉ですが、そういう国ではなく、数少ないそうでない国の人たちとなるべく多く語らい、溝を埋める努力をしたいものです。そしてそういう時こそ、私たち先祖の霊は力を貸してくれる、私はそう思うことにしています。

せっかく繋がったインターネットの世界です。私たち日本人がどんなことを考えているのか、もっともっと世界に発信して下さい。

平成二十五年葉月六日

不動庵 碧洲齋