不動庵 碧眼録

武芸と禅を中心に日々想うままに徒然と綴っております。

私が見た米国人 弐

壱で紹介したように、アメリカ人の全部が国際的、善男善女ではありません。結構適当で、低所得層では日本と比べものにならないほどの悪辣な人もいます。

ただ、間違いなく言えることは日本人よりも遥かに能動的であること。「自分のことは自分で」自主自立の精神が脈々と生きています。誰々のせい、何々のせい、という発想が日本人よりもずっと少なく、たくましくもあります。

例えばエンジンオイル。オイル自体は日本よりも安いですが、オイル交換をお願いすると日本よりも高いところが多いです。要するに自分でできる程度のことは自分でやれと言うことです。

日本は互いの依存で成立している社会で、それはそれでやはり優れた点が数多くあり、一概にどちらが良いというのはありません。ただ、このような混沌とした時代ではアメリカ人の生き方の方がずっとたくましいように思います。

アメリカで立派な黒人に出会ったことがあります。それはボストンでした。ご存じのように南北戦争では北軍はボストンを中心に盛り上がった観があります。ここの黒人住民の人相は他と全く違います。自分たちの肌の色に誇りを持っていることがすぐに分かります。さすがというか何と言うか。初めて訪れたときは、街を歩く黒人たちを抱きしめたくなったものです(笑)。人は誇りを持って生きねばならないと思います。肌の色は関係ありません。誇りがあるかないかでかなり違ってきます。ただ、何を誇るかでその人の志のありか、高さが分かろうというもの。この辺り、日本人はよくよく吟味したいところです。

高齢者では有色人種に偏見を持つ人は多いように思います。これは日本でも先の世代では部落差別や在日朝鮮人差別を強く持っているようなもの。これを無理矢理どうにかしようというのは間違いです。

良く行くミリタリーサプライ(軍用品店)がありました。老夫婦が経営していました。最初の頃だったか、新型の軍用ブーツが20%割引の表示があったので、やったとばかりに手にしてレジに持って行きました。おばあさんが正規の値段で打ち込んでいたので、そっと「値札に20%オフの表示があったようですが・・・」と言うと、ものすごく強い姿勢で「No!」と跳ね返されました。「そうですか、分かりました。」と言って代金を払おうとした直後、奥からおじいさんが出てきて値段を確認するなり私の言い分の方が正しいことをおばあさんに言いました。おばあさんは慌てて私に謝りましたが、多分これが白人同士ならこういう成り行きにはならないんだろうなと思いました。ちょっと悔しかったので「私は日本人です。だから嘘は言いません。」と言うと、おばあさんは更に小さくなりました。以後、時々、商品を並べるのを手伝ったりするほどに仲良くなりました。その時に聞いた話では、やはり黒人やアジア人(もちろん、日本人ではない・苦笑)があれこれ悪事を働いて店に損害を与えたことがあったとか(基本的にアメリカでミリタリーサプライに来るのは趣味の人かアウトドアでなければ貧乏人が多い)。日本人が如何に優れた民族か、よく理解したと言って頂けました。

私はこういうのを日本人の勝利だと思っています。昔の偉い人や偉業を持ち出してきて、日本人の優位を誇るのは日本人としては大変残念な行為です。そのような行為は日本人の品位を貶める以上にはなりません。優位は自分自身で示すべきものです。最近の日本人が決定的に欠けているところはここです。ちなみにこれは近隣諸国よりも負け始めています。優位を示したかったら自分が持てる何かで勝負してください。また日本の歴史は古いだけに取り扱いには十二分に注意して欲しいところです。

日本では「国別平均」というのにご執心の方が多いようですが、この平均、とってもくせ者です。日本人は平均的に優秀で稼ぎもあり、最近になって貧富が出始めたというような案配ですが、アメリカ人を始め、多くの国では違います。ものすごく差があります。私は米国に来て初めて、貧乏人と金持ちの差、というものをありありと目の当たりにしました。金持ちはホワイトハウスみたいな家に住んでいて、貧乏人は本島に古い家に住んでいます。まあ、日本よりはずっと敷地が広いことはうらやましい限りですが。だから平均というのはあまり意味がないのです。意味をありがたく感じているのは先進国でも日本人ぐらいではないでしょうか。

それと決定的に違うと衝撃を受けたことがあります。

それは「アメリカではいまだに戦死者が発生すること」です。私は実際に戦場から戻ってきた戦死者の葬列を見ました。その時は湾岸戦争でしたが、戦争によっていまだに死者が発生するという事件は日本人の私には強烈でした。

その葬列車が走っている横で、参戦派、反戦派が大激論していました。半沢さんではないですが倍返しだ!とか、これ以上米国領土の外で犠牲を出してはならないとか。他国民だからお気軽に言えますが、当事国の国民だったら本当に向き合わねばならないことだと思います。

これに比べて日本の反戦活動や右翼活動などは幼稚園のパーティーのようです、と言ったら失礼でしょうか。

実は第二次世界大戦の参戦者とも直接話したことがあります。

書くと長くなってしまうので、厚かましくて恐縮ですがこちらをご覧下さい。

http://fudoan.cdx.jp/sanbun/america/washington/washington.htm

日本を攻撃した側から見た視点、今の私や私よりも若い世代はどれほど知っているでしょうか?

私も少しは歴史をかじっていますから、当時はアメリカが日本に戦争を仕掛けさせたことぐらいは分かります。そして残念なことに日露戦争当時ほどには優れた政治家もいなければ、同じぐらい優秀な軍人もいなかったのも残念でした。

しかしアメリカにはアメリカの言い分があります。だいたいこっちが正しくあっちが悪いなどと本気で思うのは理性が退化した証拠。本気で信じていたらお子様が特撮ヒーロー番組を信じているようなものです。

日本人が日本人たる姿勢は戦を憎んで敵を憎まず、これあるからだと思っています。かつての敵と友になる。そして経済的には肩を並べている。政治的に今だ幼さが残るのは忌々しい限りですが、これは日本人の総意が選んだため、文句を言うなら投票した人たちです。これを民主主義と言います。

これを理解せずに今だ鬼畜米英とか日本の開戦の正当性を強調するのは愚かです。日本は正しかったと私も思います。少なくとも私は外国人に日本が一方的に悪かったなど言ったことはありません。多分米英仏露中全部の国民に一度ならず言ったことがあると思います。なので多少偉そうに言わせて頂いています。

私は戦争を憎みます。それは他国を憎むに優らねばならないと思います。そうできないと世界でも数少ない反日国家のように息苦しい国家に成り下がります。

過去の正邪よりも、未来の正邪を心掛ける、できたら誠意を持って。こういう真摯な姿勢が評価されて初めて反日国家ですらケチが付けられなくなると言うもの。(もちろんそれだけではいかんともしがたい場合も確かにありますが)国民が愚かな言動を繰り返していたのではミもフタもありません。

米国人には非常に優れた人が多くいますが、その逆、日本人だったらあり得ないようなどうしようもない人も多くいます。日本だったら適当に平均ちょいのところを切り取り、アメリカの底辺と比べて勝ち誇るようなことは厳に慎みたい。太平洋戦争当時、米軍がひどいことばかりしていたのか?日本軍はカンペキに統制が取れたことばかりしていたのか?どちらも「ハイ」だと思っていたのなら、それは歴史ではなく、隣国のようなファンタジーの世界です。そしてどちらがどのくらい悪いこともしていたのか根掘り葉掘り探す労力は、未来に価値を見いだせません。もう少し建設的な方向で行動を起こしたいものです。

米国で見聞した経験はまだまだありますが、きりがないのでこのくらいにします。

平成二十五年葉月二十八日

不動庵 碧洲齋