不動庵 碧眼録

武芸と禅を中心に日々想うままに徒然と綴っております。

裁くは砂漠

メイハン選手、棄権

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130728-00000243-sph-golf

こういう事をする方が出ると、決まって世論は「金だ」「いや愛だ」と裁定を始めます。

金を取った人は、きれい事言いやがって、世の中は金がないとどうにもならん、選手として頂点に立つのが家族の幸せなのだ、などなど。

棄権をよしと取った人は、愛に優るものなし、子供こそ真の宝、世の中金では心が潤わない、などなど。

どちらも正しいという人もいます。お金が必要な人はお金、家族が大事と思う人は家族、どちらがいてもいいじゃないかという見解。それならばどちらも間違っているという反対意見もありそうです。

禅問答の様相を呈してきました(苦笑)。

メイハン選手の答えです。メイハン選手の命題を我々が答えても全く意味がありません。それはメイハン選手が例えば私の抱えている命題に答えていただいても、全く意味がないのと同じです。

結果、どの答えだったとしても、他人が出した答え、信念は単にメイハン選手を自分の意向に従わせたいという支配欲が先立つように思います。自分が思っている、信じている方に有名人も向いてくれたら心が躍ります。違ったら憎んでしまいます。人とはそんなことに一喜一憂してしまう生き物です。相手は他人、世界には色々な考えを持つ人がいる。だから心を寛くして理解してあげようというのもいかがなものでしょうか。私は心の広さには限りがあるような気がします。だからそういう考え方は無制限に維持できないと感じます。

相違があるなしの問題でもなく、正邪の問題でもありません。人はどうしても白黒付けたがるのが習性になっていますが、そういう見方から離れると、今少し豊かな心を持てるのではないかなと思った次第です。

平成二十五年文月二十九日

不動庵 碧洲齋