不動庵 碧眼録

武芸と禅を中心に日々想うままに徒然と綴っております。

サバイバー

土曜日は稽古の後に来日中の米国人同門後輩と隅田川花火大会に行きました。

あまりパッとしない天気ではありましたが、電車で移動中は少しずつ青空も見えてきたこともあり、少なくとも中止ではないなと想像し、そのまま浅草駅まで行きました。浅草駅が大幅リニューアルされてから初めて見ましたが、やはりオリジナルに近い今の方がずっといい感じがしました。

実は隅田川花火大会に来るのは初めてです。(祖母の家が浅草だったので、幼少の頃に来たことがあるかも知れませんが、良く覚えていません)想像通り人が多いこと。そして会場まで遠い。更に建物が多いので、見られるところが限られている。今回私が引率したのは大学生3人。一人は女の子。あ、可愛いです(笑)。1時間前に着きましたが、時間があったので浅草寺の境内まで行ってたこ焼きとお好み焼き、かき氷を食べました。彼らには初めての体験だったようですが、やはり浅草寺はそれなりの雰囲気を醸し出していました。それにしても蒸し暑かった。

時間が近づいてきたので移動を始める。観客をナメているのか、「花火の鑑賞は歩きながらお願いします。」とひっきりなしに放送が入る。そもそも見えるところが非常に少ないので、見えるところは人だかりになります。そしてアスファルトの熱でとても蒸し暑い。人が多すぎて携帯も使えず。

結局始まっても建物のスキマとか、そんなところからチョロチョロ見えるだけ。この時点で次回は絶対に来るものかと心に誓いました。足立区の花火大会の方が数百倍マシです。で、しばらく隅田川沿いに建物を挟んで江戸通りを北上、スポーツセンターを抜けて桜橋と白鬚橋の中間辺りで堤防側に向かった細い路地に折れたところでやっと何とかスキマから落ち着いて見られそうな場所を確保。

・・・小雨がぱらぱらと・・・

気になって携帯を見ると、なかなか繋がらなかったのにやっと4.5通のメールが届いてました。開くと豪雨予報が3通と気象警報が2通。気象警報は最近始まったサービスです。コリャヤバイと思い、大学生3人を説得して速攻引き払うことにしました。よく見るとまだほとんど小雨なのに戻ろうとしている人たちも少なくありません。5分ほど歩くとにわかに雨量が増し、更に5分も立つとザバーーーーーーーーーーーーーーーーッと降ってきました。小さい折りたたみ傘は持っていましたが、他の3人は持っていなかった上、人が多いので逆にキケン。両手で顔を傘からガードした方がよほど安全というもの。しかも軒下という軒下は全て他の観客で埋め尽くされていました。

傘を持っていた観客は多かったのですが、そうでない人も大勢いました。中には急な雨にパニックになってシートを被って道路の真ん中(交通規制されてはいましたが)でうろたえている人たちも少なからずいました。

警察官達も大慌て。広い道路を一方通行にして、交通整理をしていましたが、駅に向かう人間が増えたりして、若い警察官などはオロオロしながら「しょ、小隊長!こっちは多すぎて規制できません、どうしたらいいですか!」など情けない声で言うのが聞こえました。

バケツをひっくり返したような豪雨になすすべもなく、我ら一行はそのままてくてくと駅まで歩き続けました。雨が降るとすぐ傘を差したり、大慌てするのは割と日本人特有のような気もします。欧米人の多くは少しぐらい雨に濡れても平気です。私も彼らも豪雨の中、楽しく会話をしながら駅に向かいました。バッグは防水性で、幸いサンダルを履いていたので濡れても平気です。

駅に着くと思ったよりも人は少なかったのは幸いでした。みんなどこぞで雨宿りしていたのか、速攻駅まで行った人は多くはなかったようです。私たちは入場規制のために階段下で10分ほど待たされました。半分以上の方はずぶ濡れでしたが、待っている内にとりあえずTシャツは乾いてきて、ズボンだけがびしょ濡れ状態でした。電車は言うまでもなくそこそこ混んではいましたが、入場規制をしていたため通勤ラッシュほどでもなく。

東武鉄道職員と警察の方で入れる入れないでもめていたのみ見えましたが(多分私たちが階段を上った頃には、駅ロビーに入りきれなかった人が大勢駅周辺に溢れていたのだと思います)

こういう時、アメリカ人のたくましさは実に頼もしい。私も彼らと一緒に来られたことが非常によかったと思います。泥だらけになる、ずぶ濡れになる、傷だらけになる、そういうことにある程度平気でいられるような民族は、サバイバーとして生き残れる確率は高いと言うことができます。

重ねて言います。隅田川花火大会は今まで行ったことのある花火大会の中では最悪でした。今後あそこに行くことはないでしょう。足立区花火大会の方がよほどましです。

平成二十五年文月二十九日

不動庵 碧洲齋