不動庵 碧眼録

武芸と禅を中心に日々想うままに徒然と綴っております。

人間の能力

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130727-00000010-jij-n_ame

不明の高校生、無事保護=マンハッタンを2日間さまよう―NY

これは英語力の問題などではありません。もっともっと本質的なものだと私は捉えています。

マンハッタンは幅4キロ、長さ20キロ、面積は概ね山手線の内側程度。つまり十分に歩いてでも行ける広さです。私も2度ほど歩き回ったことがあります。

人も多いし、私が行った頃に比べたら治安は格段によくなっています。バブルほどではないにしても日本人観光客は多いでしょうし、日本料理店も多いはず。

そもそも先進国の大都市です。警察や鉄道職員など捕まえて頼み込めば必ず何とかしてくれます。それが先進国たる所以です。

この少年は英語が話せないというのは理由になりません。中学校で3年間、習ってきたはずです。また、今回の研修のために十分な準備もしていたはずです。

滞在先の住所を持って、パスポートも持って、ある程度のお金さえあれば、問題など起こすことすら難しいはず。町中の人々も、まさかこのアジア人の少年が言葉が分からないからマンハッタン中を放浪しているとは思いもよらなかったのだと思います。

言葉の問題ではありません。資質の問題です。

コミュニケーション能力、危機対応能力、応用力、これらの欠如がこんな恥ずかしいトラブルに発展したのだと思います。困ったら人に聞く、もしもの為に準備する、訊く相手を見定める。そういうごくごく基本的な能力がないばかりに、こんな事になった。この少年は一体どんな学校生活を送っていたのか。(ま、私も16歳の時はあまり偉そうなことは言えませんけど)

私はいつもそういうことを念頭に置いて、息子の教育をしています。学問ではない、もっと根幹の部分。問題を自身で解決させる、事前に問題を察知させる、事前に備えさせる。それでなお問題に直面した場合には冷静でいられる。学問や知識はそれらの土台の上でしか咲くことができません。答えのある問題、決まっている答えを分からせることが教育ではないと考えます。逆に考えて問題を考えさせる。解のない問いにぶつけさせる。未知の人間とコミュニケーションさせる。人間の何たるかは知識よりもそういう部分で評価されるのではないかと思います。

東京で言葉が分からなくて二日間も放浪した外国人など見たことがありません。いないと思います。そして戻れた方は皆、言葉が通じたからではないと思います。もっと別の能力によって解決できたと思います。これがいわゆるグローバルスタンダードの人間の能力です。

近年の日本人のポテンシャルの低さには恐るべきものがあります。ひ弱と言うか、か弱いというか、力強さが感じられません。そして昨今のネトウヨと称される人々からは我が国の伝統の重さや歴史の長さを感じることすらありません。彼らの多くは根拠のない愛国心から来ている人が多いように思います。日本人全体の賢さというか日本人らしさが薄まってきているというのが正直な感想です。

少なくなってしまった次世代だからこそ、もっともっと、人間の本質的なエッセンスを濃厚にした教育をすべきではないかと思う次第。そうしないと我々は過去の遺産を食い潰してそのうちローマのように滅亡します。そしてそれは民主主義社会で起った場合、我々国民以外に責任を押しつけられません。

我が家ではそういうことを考えて、なるべく世界のどこに行っても生き延びてかつ、敬意が持たれるような日本人を育てるよう、心掛けています。

平成二十五年文月二十七日

不動庵 碧洲齋