今日は息子が合計4泊5日のキャンプから帰ってきました。
このキャンプは日本中の子供が集まって行うキャンプです。
私も6年生の時に行ったことがありますが、新幹線で東京駅に戻ったとき、迎えに着ていた母が思わず泣いたのを覚えています。
そのキャンプは往復10日ぐらいあったのですが、途中、台風があってキャンプしていた天草周辺の無人島から漁船数隻で辛くも近所の大きな島に避難したりと大変でした。
また、その時初めて大阪から熊本まで飛行機に乗り、かなり感動したのを覚えています。
あいにくの天気でしたが、5日ぶりに見た息子は飄々としていました。ある意味、同じ年齢だった頃の私よりも遙かにタフです。
正直一回り大きくなった!とは感じませんでしたが、とにかく無事に帰ってきて良かったと感じた次第。
少しウルッときたのは事実です。(苦笑)
閉会式の後、息子のグループを担当していたインストラクターに挨拶すると、彼女は印象深かったことを話してくれました。
毎回食事作りの後、みんな引き払ってから息子は一人で調理台などを黙々とぞうきん掛けしていたそうです。
こういうことをする子供は珍しいと言って頂きました。
もしかしたら息子が目指している高みは、私が考えているよりもずっと高いところにあるのかも知れません。
今年は家から数百キロしか離れていないところです。1.2年後は地球の反対側にホームステイさせるつもりでいます。
10年後は私のように米国かどこか、遠い国で留学でもしているような気がします。
よく考えたら20年後、30年後、息子は地球から何十万キロも離れた所にいるのかも知れませんから・・・。
今日見せてくれた飄々とした姿は私ではなく人類みんなに安心を与えてくれるのかも知れません。
家に着くまではリュックサックを本人に持たせました。
小さい身体ですが文句の一つも言わずに渾身の力で家まで背負いました。
私は何か、彼の背中にはもっともっと大きな、何かが背負われているように感じました。
子供の背中には白い羽が生えていたり、途方もなく大きなものが背負われたりしているんですよね。
それが見えない大人が近年多すぎます。大人のその無能さには呆れますし、怒りすら感じます。
大人がそれを見出すことは人類においては「最優先義務」です。私はそう信じています。
可能性や未来を背負っていない子供はいません。ごく普通に考えれば分かりそうなことだと思います。
そうそう、キャンプ中はあだ名で呼び合うことだったらしいのですが、息子のあだ名は「ガリレオ」。
理由は詳しく教えてくれませんでしたが、理科好きだったからのようです。本人はまんざらでもなさそうでした。
帰宅後、私は稽古に行きましたが、稽古から帰ると、テレビで放映していた「ニモ」を観ていました。
父親の魚が息子を捜しに行く話しですが、ちょっと気恥ずかしかったです。
本日はお疲れ様でした。
平成二十五年文月二十五日
不動庵 碧洲齋