不動庵 碧眼録

武芸と禅を中心に日々想うままに徒然と綴っております。

改憲について思うこと

いよいよ最新の宮崎アニメ「風立ちぬ」が公開されました。私も非常に楽しみにしていますが、これは是非とも息子と一緒に鑑賞したいということです。改憲についてちょっと飛行機ネタで入ろうと思います。

戦前の話しですが、旧日本軍は一時期外国の戦闘機も制式にしようと試みたことがあります。幾つか候補が挙がったのですが、その内で有力なのがドイツ。早速何種類か輸入して試験飛行をさせました。

今なおドイツ製というのは日本の永遠のライバルというぐらい最高品質の製品を世に送り出していますが、当時にあってもドイツ製というのは非常に優れたものとして、世界で認識されていました。

で、実際に試験飛行させてみて日本人はビックリ。ラジエターはすぐダメになる。ゴムはすぐ割れる。プラグもしょっちゅう不良を起こす。噂に聞くドイツ製とはかけ離れた稼働率に日本の技術者達は慌ててドイツ人技術者を呼び寄せました。で、ドイツ人技術者が何でそんなことぐらいで、といぶかしげに言ったのは・・・

「交換すればいいじゃん」

「はぃ~?」

日本人技師達は口をあんぐりさせたとかしないとか。

不良品があったらドンドン交換する、それのどこがおかしいのか、逆にドイツ人には全く理解不能だったそうです。

人間だから完全なものは作れない。完全なものを作る努力はある程度超えると非効率的になる、それなら一定の品質のものを大量に作った方が効率的だというのがドイツ式です。

日本は当時ビンボーでした。世界的に見て欧米に比する軍事大国ではありましたが、相当無理をしていました。だから弾丸の一発、燃料の一滴に至るまで、無駄が許されませんでした。故に「壊れることを計算に入れた」設計と言うこと自体、およそあり得ない設計思想でした。

それ以後、日本は独自の視点で軍用機の開発に取りかかったというのが、「風立ちぬ」の頃の時代でした。

戦時中は散々ひどい品質でしたが、戦前のしばらくは最先端の日本製の機械はなかなかの精度だったとか。もちろんそれはごくごく一部、例えば戦闘機などでしたが、「壊れない」発想の元に製造されました。無論、それは今に至っても貫かれており、日本製の不良品の低さはある意味異常とも言えます。まあそれが日本人のよいところでもあるんですけどね。

留学時、私はデパートでラジカセを買いました、が寮に戻って開封してビックリ。「壊れている」というより、何かが強力に押し潰されたかのような壊れ方をしていました。早速それを買ったデパートのサービスカウンターに行くと、これまたビックリ。なにがしか不良品を手に持ったお客さんがズラーーーーーーーッと列を成していました。日本だったらその時点でそのお店は完全にアウトです。店員に私が買った、破壊されていた製品を見せると、これまたこともなげに「じゃあ新しいのを持ってレジで再精算してください」。日本だったらマネージャーがすっ飛んできて、平謝りじゃないかと思います。何たって買ったラジカセは半壊状態でしたから。

欧米と日本ではそういうものの考え方の違いが横たわっていたのですが・・・今はどうやら使い捨てが蔓延しているようにも思います。まあ、日本人にしてみたら何でもなかったことですが、散々欧米に食い物にされた上に、文化を押しつけられたアフリカでは「もったいない」精神を推進したワンガリ・マータイさんのように、非常に斬新なアイデアに見えたことでしょう。

戦時中の前半、ゼロ戦はなかなかの稼働率でしたが、超高性能の代償として部品加工やメンテの難しさなどがあったようです。現実に零戦を加工した工作機械の多くはアメリカ製でした。

話変わって、終戦時まで使われた大日本帝国憲法ですが、発布されてから58年間、全く改憲されませんでした。今の日本国憲法もこの66年間改憲されたことはありませんでした。

どうも日本人は「お上の創ったものに異を唱えるのは大変無礼」という封建時代の風潮がいまだに色濃く残っているように思います。もちろんこれは例えばアメリカのように最初から人工的に創られた国家と比べてという意味です。彼らは人がこしらえたものだから、当然おかしかったら手直しをする、と考えています。日本でも本来そうあるべきなのでしょうが、憲法は王権神授説に基づいて創られたかのように、神聖不可侵と勘違いしているような気がしてなりません。本来ならよく吟味すれば改憲して然りだと思っています。

憲法9条などは世界的に見ても異常な憲法で、世界に2.3カ国しかない、しかも日本周辺諸国には都合がよいという以外は、世界的に見て合理性を欠いているようにさえ思えます。軍国主義に転がるとか言われてますが、今世界で日本以上に武道人口が多いところはありません。じゃあ日本人は世界一好戦的ですか?この問いは世界のほとんどでジョークとして使われそうですが、それだけ真面目な問いには用いられぬレベルであることが分かります。

平和が70年も続くと未来永劫、それが続くと錯覚してしまいがちですが、先進国でそう錯覚しているのは日本国民だけです。血を流さずに平和を継続させようなどと言うのはとても都合がよい、ある意味嫌悪さえ持たれる発想です。どういうわけか第9条に限ってはスケールダウンして考えてみるという、ものの発想を禁止されている節さえあります。戦争がある度に社会福祉予算や教育予算をガンガン削られる米国のようなやり方は大変問題がありますが、戦争というのはある意味勝った後に戦うようなもので、戦争が始まってから予算や手間をかけても全く意味がありません。ガンダムみたいなスーパー試作機が戦局を変えた試しは現実にはありません。普通っぽい兵器をできるだけ大量に配置した方が勝ちます。数次第では名将もいりません。慌てて準備した方は勝てません。長年準備した方が勝ちます。オリンピックでもそうです。別に戦争に限った話しではありません。ところが日本人は戦争に限ってはどうも特撮ヒーロー戦隊の出現を期待しているかのような節があります。

ただ改憲にも問題があります。残念ながら、根拠薄弱な愛国心に、軽薄な右翼思想、政治に関心の薄い国民が改憲に関わることはいかがなものかと思います。特に最後の一つは投票率の低さとして明白に出ているわけですから、寡頭政治に任せてよいとも取られかねません。だから投票に行かなかった人は文句を言う権利がない。私は投票したので言いたいことを言う。

改憲は時代の要請として多分しばらく継続して議論されるべきものだと思いますが、日本人そのものも、もっと政治に関心を持ち、この世界最古の国家の行く末を案じて欲しいところです。

平成二十五年文月二十二日

不動庵 碧洲齋