不動庵 碧眼録

武芸と禅を中心に日々想うままに徒然と綴っております。

稲穂と藤と

優れた武芸者は道場稽古のみならず、道場の外側社会生活の中や自然の中からもなにがし変えることができるものだと思っています。現に私が尊敬している武道家達は皆、社会生活や自然からも教訓を得て武芸の稽古でそれを高め、また社会に還元しています。道場稽古だけの閉鎖された社会だけでは人生にとっては何のプラスにもなりません。 昨日は所用があり、たまたま電車で稽古がある春日部武道館に連絡の手違いで昨日は全く別のところで稽古をしていたようで、無駄足となってしまいました。とはいえ久しぶりに駅から武道館までの約2キロを歩くことができ、妙に新鮮でした。高校生までと年に1回程度は所用のために電車を使うのですが、通常は車なので、こういう機会も悪くはありません。また、何を以て無駄か有益か、その辺りは自分の、自分だけの物差しを一旦外して見るように心がけています。 20数年前に比べると今は春日部も随分人口が多くなってきました。入門当初は駅から武道館まで、非常に多くの田畑があったのですが、今ではたったの1カ所だけになってしまったようです。昨日その横を通った折、よい天気に恵まれたせいか、非常に気持ちよい碧色が広がっていました。日本人の原風景というのはやはり、田んぼが欠かせないと思います。
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「稔るほど 頭を垂るる 稲穂かな」 日本人なら一度は耳にしたことがある言葉だと思いますが、私も初めて聞いたのは入門して間もない高校生の時でした。 そのときは天下に志しある者が、周囲に同調して頭を垂れるとは何事かと憤慨したものでした。 入門して2年目の秋口だったか、たまたま稽古の往路、黄金の実をたわわに実らせた田んぼを通り過ぎた時、1本だけピンと天を指している稲穂があったので、これは吉兆とばかりに1本だけ抜いたのですが、あろうことかそれは中身がほとんど入っていなかった、不良品だったことがありました。そのときは実感としては理解し得ませんでしたが、社会人になり家庭を持つとその意味の深さに、我が身の猿知恵を恥じるしかありませんでした。 春日部駅駅前通にはもう一つ、こちらは今でも盛大なものがあります。それは藤棚。市役所から約1キロほど直線に藤棚が作り付けられています。入門当初は何ともか弱い感じでしたが、今や青々と生い茂る立派な藤になっています。同じ市内には牛島の藤というのがあり、樹齢1200年、弘法大師お手植えとの伝説もある、国定の特別天然記念保存木です。5月の初め頃、丁度ゴールデンウィークの辺りでしょうか、見事な藤の連なりを見ることができます。
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「下がるほど その名は上がる 藤の花」 これは先の句の対句としても知られていますが、この句を知ったのは結婚した頃なので、10年ぐらい前でしょうか。この句にも感動を覚えました。先の稲穂もそうですが、この藤の句も外国人にはなかなかどうして理解しにくいところ。今まで私は英訳以外にもドイツ語とロシア語にもしましたが、どうしてどうして、その味わいはやはり日本語の方が深く感じます。あいにく昨日撮影したので藤の花はありませんが、この藤通りの長さはご理解頂けると思います。 この二つの感覚はなかなか外国人達に理解させるには難しいものがありますが、分かりにくいことを外国人に体得させるのも当流の使命のような気がします。 昨日は気温も高くなく、青い空が印象的な一日でした。
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平成二十五年文月二十一日 不動庵 碧洲齋