不動庵 碧眼録

武芸と禅を中心に日々想うままに徒然と綴っております。

エベレストは幾つある?

((最小限の動き=最大限の効果=意識されない動き)=自然の動き) X 虚実

ここ7-8年はこれを意識して稽古をしています。

これはあくまで私だけの持論ですので、この公式が正しいのかどうか全く分かりませんが、師や他の先生方、他流の先生、武友を見ていて、これが一番理想の動きのように思った次第。

これが全部イコールになるのは全くの理想論ですが、昔の達人にはこれが可能だった人もいたのではないかと思っています。

動きの精度を上げるには稽古の量よりも質が求められますが、その質を維持するためにはやはり持久力も必要になります。つまり質のための量はあり得ます。小手先だけの精度ではしょせん焼き付け刃なのです。そもそも精度の高い動きをするにはものすごい集中力と体力が必要で、そんなことぐらいでゼイゼイ言っていては意味がありません。高精度の動きをしつつ、息をしているのかしていないのか分からないぐらい、というレベルを持続し続けるには、それなりに体力もなければなりません。そもそも高精度の動きをするには息が乱れていては意味がありません。「精度」と表記には漢字二文字で簡単に済まされてますが、実践に当っては、もしくは精度を上げていく毎にとんでもないエネルギーを湯水のように使い、その動きを維持するにもやはり膨大なエネルギーを要する、といっても過言ではないかも知れません。

高い精度の動きには無駄がありません。余計な動きもないのでバランスもよくなります。高い精度が実現できてこその最小限の動きになります。人間の肉体には動きやすい角度や部位があります。そういうことも勘案しての動きと理解しています。最小限の動きは最小限の準備で済みます。また、反動も少なくなりますので、相手に察知されることもなく、次に繰り出す高い精度の動きに繋げることができます。流れるような連続した高精度の動きを維持するためには、最小限の動きというのは外せません。そう思うと昔の人の所作というのはなかなか参考になることが多いようです。

せっかくできるようになった最小限の動きも、相手に対して無力だったら悲しいものがあります。そもそも最小限の動きです。その実、実生活でも役立たないほどの微細な動きであるかも知れません。そうだと思います。それを戦闘シーンで最大限に効果を発揮するのは、戦闘行為に発揮される能力、動作というのはそもそもかなり偏っているからという、あまりに情けない理由に因ります。多分ですがこれは普通の野生動物には当てはまらないかも知れません。

最大限の効果を発揮するにはやはり、人間のバランスを崩す方法、技、肉体に関する知識、精神に関する知識なども知っていなくてはなりません。その上で間合いを計り、拍子を読む能力が必要になってきます。それだけでもだめです。敵はロボットではありませんから、相手も知らなくてはなりません。いうまでもなく旧知の仲ではありませんから、会ってパッと知る能力が求められます。微細な動きから相手の癖を知り、目で相手の心を推し量る、そんな具合です。

稽古時によく見かけるのが「ナルシスト門下生」。自分のカンペキな動きに陶酔して、稽古をしている門下生です。別の業種で例えると、売れてないのに完璧なテイストを売り物にしている食品会社。ツッコミどころのない完全なスペックの車なのに売れていない、とか。そんな感じです。完全な動きそのものは完全ではあり得ません。相手に合わせた動きこそが本来は完全な動きですから。

この二つだけでももう、エベレストが二つもあるような難関さですが、更に追い打ちをかけるものがあります。それが「相手の意識に上らない動き」。そんなことができるのか?できます。理論上はできるはずです。実際にそうだと思われる動きをする同門や先生は何度も見かけました。高精度の動きを維持して、絶妙なタイミングと間合いが「相手の意識に上らない動き」を実現させます。これは技と意識させたりもするので、毎回とは行きませんが、相手が意識しないと気付きにくい動きは相手にかなりの精神的ダメージは与えます。私が知る限り、これができる人は何人かいます。私ができるかどうかはナイショ(笑)、いえ、分からないというだけです。

この方面を深めるには脳科学が一番優れています。私も何度かこの方面の研究をしている教授の講演会に参加したり、本を何冊も読んだりしていますが、人間の持つ、本来の原始本能から理解する必要がありそうです。この仕組みや原理を知ると、ものすごく楽になります。そして人間の原初のものの見方が分かり、おもしろくもあります。いわゆるだまし絵のようなものはこれの応用です。

これらの動きをまとめて、私は自然の動きだと思っています。野生動物の動きを見ていればまさにその通り。効率の悪い動きはエネルギーの無駄遣い、死に直結します。野生の動物たちの動きはとても参考になります。近所のネコでさえもとても参考になります。自然といいますが、都会に住む我々にとって、自然の動物の動きを見ることすらかなり難しくなってきています。

これら三つの要素を限りなくイコールにさせればよいのですが、順位を付けてどれも限りなく高めることによって、自然の動きを武術の動きに適用することが実現するのではないかと思っています。更にこの動きに虚実を付ける事によって、更に強い武術の動きになるのではと考えています。

そう考えると絶対到達不可能な巨大な山々が立ちはだかっているようにも思います。そういう絶望感の中で、私はいつもほそぼそと稽古をしていることになります。攻めて愉しみながらやらねば損ですからね。

・・・もちろんあくまでこれは私の理想論です。或いは別の流派、武道家の方の中にはこんなのとは比較にならぬほど素晴らしい理合いを持っていらっしゃる方もいると思いますが、私の能力ではこの辺りを推し量ることが精一杯。明らかにこれは違う、ここはおかしいと思った場合は御友誼いただき、教えを請いたいところです。

今日はいつも武芸について徒然思っている、深い部分を語りました。

平成二十五年水無月二十八日

不動庵 碧洲齋