不動庵 碧眼録

武芸と禅を中心に日々想うままに徒然と綴っております。

居住いを正す

論語孔子は座るとき、必ず席を確認して居住いを正してから座ったそうです。

先日何度読み返したのか覚えがないぐらい読んできた論語を読んだとき、ふと目に付きました。

彼の生活態度が記された篇は結構つまらないので、いつも適当に読んでいるのですが、どういう訳かそこだけ目に付いたのです。

ここ数年、私も自然にそうするように心掛けるようにしていました。食卓の椅子はもちろんのこと、会社の椅子、会議室の椅子、外食に行ったとき、そして毎朝の仏壇の前の座布団。理由はよく分かりません。自然に符合したので驚きました。

20年近く前に豪州に赴任した折、ホストマザーから食後に椅子が出ていたことを、何気なく言われましたが、それ以後からずっとテーブルマナーとしては気にはかけていましたが、ここ数年は日常生活で自然にそれをします。

これから座る場所、今まで座ってきた場所に敬意を持つためなのか、見苦しく座らないためなのか、孔子はどんなつもりでそうしたのか書いてはいないのですが、日常生活の中で古の偉人達の知恵を何気ない発見をすることは希にあります。

儒教ではなるべく見苦しくない所作が求められていますが、正直孔子のやっていることを全部真似たら、礼節のためとか言われてもかなり息苦しく感じます。現代に通じる部分に関してはなるほどとは思いますが。とはいえ、そういう所作を記録していると言うことは何らかの理由があるのだと思います。

もしかしたら着席、離席だけでなく、物事や人に対しても万事そうせよと言うことなのかも知れません。それならとてもよく分かります。分かっているだけで全くできてはいないのが玉に瑕ですが。禅的にも一つ一つのことを端折らず、適当にせず、きっちりすることを良しとしていますが、多分、それに通じているのだと思っています。

平成二十五年水無月二十七日

不動庵 碧洲齋