不動庵 碧眼録

武芸と禅を中心に日々想うままに徒然と綴っております。

自己啓発書ブームに想う

http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20130625-00002379-davinci-ent

読むのは人生の無駄!? 自己啓発書ブームに喝!(谷本真由美)

私はこの方の経歴等はよく知りませんが、同意すること甚だ大です。

私は15歳ぐらいから37歳ぐらいまではかなりの読書家で、自宅にはおよそ3000冊以上の蔵書がありましたし、月に少なくとも20冊ぐらいは読んでいたと思います。(もちろんマンガや小説を除く)

私は欧米風に白黒ハッキリさせて、善悪のタグ付けをするのは好みません。今まで読んだ中でも非常に見識の優れた自己啓発書もありました。最もそういう本が必ずしもベストセラーになっていたというわけではありませんが。私は昔から少数派なので、ベストセラーの本は決まって疑ってかかっています。

30代半ばに蔵書のほとんどを処分しました。今手元に残っているのは仏教関係と主に徳間書店の箱入ハードカバーの思想書シリーズが20-30冊程度。それ以外には10数冊だったでしょうか。大変な数の蔵書を処分しましたが、その実、気分は爽快、気が晴れて楽になりました。

自己啓発書を否とするわけではありません。が、原書や歴史的言行録、伝記や自伝に比して自己啓発書の類は決定的な差があります。それは前者は何十年、何百年、ものによっては何千年という時代の風雪に耐え抜いてきた書籍だからです。これは大きい。一個人、一民族、一国家が否定しても、その本を後世に残すだけの価値があると認めた人がどの時代にもいたと言うことです。個人やその場の流行ではありません。

中国諸子百家は多くの書籍が記されましたが、今我々が体系的に読むことができるものはごく一部です。兵家だけでも50-70ぐらいあったとされますが、今残っているのは1.2割程度。それを思えば原書の重みが分かろうというものです。紙のない時代から電子書籍になる現代までにどれほどの人に読まれてきたのか。古い書籍にはいつも圧倒されます。

伝記や自伝、言行録も限りなく本人のオリジナルの思想を反映しています。これも自分で書いたものですから、基本、時代によって変わることはありません。まあ、時の権力の都合で消される部分はあるにしても。それでも消された部分も大切に保存され、後世に改めて補記されます。人類のものすごい執念です。現在残されている書籍はそのくらいの価値があるのです。歴史のダイナミズムに比べたら、ちょっと流行の自己啓発書など、吹けば飛ぶようなものがほとんどというものです(言い過ぎかも知れません、スミマセン)。

例えば岩崎夏海の小説『もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの『マネジメント』を読んだら』で一躍有名になったピーター・ドラッカーさん、生まれたのは1909年ですが、この本を書いたのは1959年。まだ約70年にもなりません。大甘に見てあと100-200年後にもよく読まれていたら、これは人類史という観点でも真理に近い書籍になるかも知れません。ドラッカーさんの書籍でさえ、今現在ではせいぜいちょっと長い流行でしかないのです。

原書、それに類する書籍は自身の成長に合わせて色々な色彩を放ちます。見え方が変わる、とでも言いましょうか。高校時代、論語孟子などはコリクツをこねた、カチカチの石頭軍団ではないかと思いましたが、今読むと、何度読んでもウ~ンと唸ってしまうことしばしば。孟子性善説は驚くべき事に科学的に立証されつつあることも驚きです。

原書の類はダイヤモンドの原石、花崗岩の頑強な壁です。掘れないから諦めて、他人が掘った穴を使ってよじ登る、これが入門書とか解説書、あるいは自己啓発書の類ではなかろうかと思います。どんなに堅くとも、諦めずに自分の穴を穿つ努力をした者にだけ、その書籍が本来持つ、あなただけの奥義を伝授します。

特に10代、もしかしたら20代の方にとって原書は退屈で意味を見いだせないかも知れません。それが当たり前なのですが、何千年前からの書籍が今に残っている事実を顧みれば、くだらない本だと決めつけられないでしょう。全部の意味を理解する必要はありません。ほんの少しでもかじることができたらしめたものです。そこからぐいぐいかじっていけばよいのです。

自己啓発書の欠点はその時のその国の流行であることが多いからです。ましてやその特定個人の成功体験を文章化しても、一体どれほどの参考になるのやら。素直に自伝や伝記の方が遥かに共感が持てます。もちろんそんなことはない、と思う人もいますが、私自身、幾つか試してやはり自分には自分のやり方があり、その参考のためにちょっとだけ他人のやり方を垣間見る場合もある、という程度がちょうど良さそうです。スティーブ・ジョブ氏も孫正義氏も世界に一人しかいません。多少なりとも学ぶべき事があっても、真似ては意味がありません。

ましてや金儲けに結びつく自己啓発書などは眉唾物です。お金は重要ですが、お金では何ともならぬ事を追及するのが人生の最も重要なミッションではないかと、私の人生ではそう定義しています。例えばお釈迦様やイエスキリストが得た境涯を体得できるなら1兆円ぐらいは安いものです。必ずその境涯を体得できるなら何が何でも1兆円を揃えますが、そもそもそんなことは不可能です。それはお釈迦様もイエスキリストもたった一人しかいないからです。私たちは彼らから学ぶことができるだけです。

世界で一番有名な兵法書孫子」。原書はたった一つですが、入門書や解説書などは常にビジネスマン愛用書のベストテンに入っていますし、世界中で読まれています。2500年も前に生きていた孫武将軍もさぞやビックリ仰天でしょう。最初から原書を読むのは分かりにくかったら入門書やそれを応用したビジネス書を読むことはよいことだと思いますが、できるだけ書いた本人の息吹を感じられるように努力してもらいたいものです。

そういう努力、体験をすることによって、自己啓発書なるシロモノの良し悪しもある程度分かってくるのではないかと思います。

平成二十五年水無月二十六日

不動庵 碧洲齋