不動庵 碧眼録

武芸と禅を中心に日々想うままに徒然と綴っております。

いつもの朝の様子

通常、私は朝は5時ごろに起き出します。前はもっと早かったのですが、取りあえず今は5時前後です。

そして気分に依りますが6時まではロシア語の勉強に充てています。

少々重要な案件があればメールを打ちます。

6時になるとキッチンに移りますが、その頃になると息子も起き出しています。

息子も早起きなので、それはそれでとても助かります。

朝食は週に1回のパン食、1回のシリアルと5回の米食

米食も1回は納豆、1回は鮭にしてますが、残り3回は適当で少なくとも1回は冷凍食品なので、残り2回が多少手間をかけるということになります。

そこがいつも思案どころです(笑)。

ご飯は白米を研いで十六穀米を混ぜたものを前日にタイマーセットします。

これを忘れると朝大変な事になるので、どんなに疲れていたり忙しくても忘れないようにします。

白米だけではあまり身体によくありません。

また、昔風のご飯に仕上がるのが好きで、よく多めに入れたりします。

息子は味噌汁が好きなので、米食の時はなるべく作るようにしてます。

楽なので具は豆腐が多いのですが、次に多いのがタマネギ。

甘いのがよいらしいです。

ジャガイモはむくのが面倒なのですが、時々。

ワカメもいいのですが、今度から乾燥ワカメを使いたいところです。

時間があるときは前日に作っておくのもいいと思うのですが、味噌汁の作り置きってどうなんでしょうか。

朝食は6時半までには作り上げて、息子と二人で食べます。

あまり悠長にはしませんが、それでも重要な位置付けとして色々と話しながら食べます。

20分程度で食べ終えると速攻片付け。

朝食を作るときも基本片付けながらにしていますので、かなり楽です。

調理しながら片付けるのは基本ですが、夕食などもキッチンの片付けは私の担当なので、後で楽ができるよう、可能な限り片付けながら作ります。

同時にもしくは朝食後に昼食用におにぎりを一つ作ります。

具は最近はほとんど梅干し。

健康によいのでほとんどこれです。

前は弁当も作っていましたが、最近の昼食は小食なので、おにぎり一つで十分です。

朝食後は読経をしてから着替えて歯磨きなど。

読経は和室のドアを開けて、息子にもよく聞こえるようにして読経します。

個人的には息子にも聞こえるように読経するのが功徳だと思って行っています。

私が毎日欠かさず祈りをしている姿から、なにがしか感じてもらえればといつも願っています。

ちなみに夕方、鈴を鳴らして手を合わせてから灯明を消すのは息子の仕事です。

この仏に対する一連の作業は息子と二人で連携して行っています。

このような習慣はきっと、将来息子によい影響を与えるのではないかと思っています。

食べ終えたタイミングで食器全部を食洗機に入れて洗剤まで入れておきます。

その後、妻が起きてきて、朝食を取り、食洗機を回したり回さなかったり。

基本量が少なければ回さないのですが、やはり放置しっぱなしは感心しないので、最近は妻の朝食を待たずに回すこともあります。

今の時期は梅ジュースの攪拌も忘れません。

今回は砂糖に粗目も入れたので、なかなか溶けず、丁寧に何度も攪拌しています。

おかげさまで今年の梅ジュースは格段に出来がよく、毎朝攪拌後のへらを息子と少しずつ舐めては楽しみにしています。

時々、息子の宿題で音読を聞かねばならないので、それを聞くこともあります。

テレビはNHKと決まってますが、朝の女子アナ鈴木奈穂子さんと上條倫子さん、気象予報士の渡辺蘭さんを見るのがささやかな楽しみです(笑)。

これはちょっとオヤジっぽくなってきたか(苦笑)。

月木金はゴミの日なので、ゴミも集めます。可燃ゴミの日は車庫や自宅前も箒で掃いて、落ち葉を拾います。うちは樹木が多いので拾わないと大変な事になります。しかし時期によっては全然追いつかないこともあります。ともあれそれらを集めてゴミを出し、晴れて車で出勤します。時々歩きで出勤したいのですが、なかなか時間的に余裕がなく。しかしなるべく徒歩通勤を心掛けたいと思います。

朝はモーレツに忙しいために機械的に淡々と作業をこなすのですが、最近思うのはそのようなモーレツな忙しさだからこそ、比較的禅定に入りやすいのではないかと言うこと。

イライラしたりカリカリしたりしてはいけないことはもちろんですが、何か言われたりしてもいちいち構っていては終わるものも終わらなくなります。

スッと流して囚われないという意味では朝の忙しさはなかなか良い修行なのかなと思ったりします。

僧堂では毎日モーレツに忙しく厳しい修行です。

頭がフラフラになって考える能力がなくなるそうですが、そういうときほど禅定力が湧いてくるのだとか。

5.6年ほど朝の多忙さに接していると、そういうものが理解できるようになります。

朝だけでなく、日々の家事に自我を埋没させていけたら、効率的な修行になるのではないかとよく思い、割に積極的に家事を手伝ってはいます。

朝はこのように全く清々しくありませんが、私にはよい修行にはなっています。

平成二十五年水無月十九日

不動庵 碧洲齋