不動庵 碧眼録

武芸と禅を中心に日々想うままに徒然と綴っております。

人種差別・・・とか?

ここ最近、「ヘイト・スピーチ」という単語をよく聞くと思います。例えば特定民族に対して「キサマラ皆殺しじゃぁ~!」とか「てめーら、みんな死ねぇ~!」とか、そんな感じです。昨今の日本で、嫌悪の対象に挙げられているのはもっぱら朝鮮民族中華民族。何と言うか、一番近い民族といがみ合っているという事実は何とも悲しいものですが、例えば中華民族は世界のご迷惑な民族ナンバーワンには違いありませんし、朝鮮民族ナショナリズムは辟易すると言うことは、世界的に共通の認識です。

日本民族がある意味、突出して優れていることは、彼らをしても渋々認めざるを得ないレベルです。故に腹立たしくもあるのでしょう。

しかしながら、感情的な罵詈雑言は相手が同じ事をしていようとも決して許されません。相手のレベルが低いのなら、相手の土俵に立ってはいけないのです。日本人なら品格のある言動をすべきであって、慎みを忘れた言動は単純に相手の反感を買うだけです。自分が悪だと思って行動する人はいません。相手だって自分が正しいと思っているのですから。

世界中に日本人が優れた民族であると思われているのは決して科学技術だけではないことをよくよく肝に銘じるべきです。残念ながら、昨今のいわゆるネトウヨと呼ばれる人たちの言動は読むに耐えません。なるべく読まないようにはしてますが、あの品格のなさ、恥を知らぬが振舞には同じ日本人として全く恥ずかしく思います。

相手を非難するなと言っているのではありません。例えば私の友人には元警視庁の刑事さんがいますが、彼はちゃんと中国のサイトから情報を拾ってきたり、彼の経験を元に、中国人犯罪の何たるかをキチッと説明しています。批難をするならそうして欲しい。ま、私もよく、ピリッと辛口のイヤミや不平を漏らしますが、なるべく下品にならないようには気をつけています。

例えば米国の大学で、職員が人種差別、民族差別苦い等する発言をした場合はかなり重い罰則があります。場合によっては学校を放逐されてしまいます。米国人の白人の先祖は随分と酷いことをしてきたのででですが、今に至ってそういうことが愚かなことだと分かってきたようです。

高邁な品格、慎ましい言動、誠実な遂行、日本人ならできるものではありませんか?

双方、汚い言葉で罵り合うのは見苦しいし愚かしい。日本人としてはとても下品です。何を基準にすればよいか?むろんできるだけ天皇陛下の御心に逸れずに済むこと他なりません。現実に100パーセントはムリでも、陛下ならきっとそんなことは言うまい、と思って下さい。特に愛国主義者とか自負されている方。

民族としての品の高さはまずどこでも信頼されます。今、我ら日本人が世界のどこに行っても大抵はノービザで行け、日本製と言えばたとえ中国韓国北朝鮮であっても敬意を持たれるのは、戦後、身を削って努力してきたご先祖たちの功績です。今のあなたたちの功績ではありません。私たちは先達の遺産を食い潰しているだけです。

私は16歳の時から外国人と多く接する機会があり、当初から道を外れぬような言動に気を付けてきました。もちろん個人的にくだらないことで口撃されたこともありますが、まあ口撃してくる人たちの品は推して知るべし。能くあろうと努力する人にはそういう人が集まるものだと思います。特に外国人であれば普通は言葉が通じません。故に道を外れぬ行いこそが重要なのです。

そういうことの積み重ねが、日本という国を品格ある国に育てていきます。中国も韓国も確かに普通に考えても酷い。しかし私たち日本人にとって重要なのはそれをどう扱うのか、ということ。その扱い方を外国は見ています。正解というものはないのでしょうけど、よりベターな方法はあるはず。現実に中国や韓国でも日本に敬服している人は大勢います。そういう人たちを公の場でそれを言わしめることができるほど、強力な品格や徳のある国家にしていくことこそが、天皇陛下をはじめ、先祖たちも喜ぶ方法であり、我らが民族の名である「大和」ではないかと思います。この辺り、もう一度じっくり考慮してみましょう。

平成二十五年皐月十六日

不動庵 碧洲齋