不動庵 碧眼録

武芸と禅を中心に日々想うままに徒然と綴っております。

仏の内なるもの

一昨日だったか、息子と風呂に入っていると息子に問われました。

「仏の内側はなんだろう?」

私は答えました。

「仏の内側は仏、仏の外側も仏」

息子はすぐそれを理解してくれました。

仏は宇宙一杯に広がり、満たされています。

時々揺らいだり、対流を起こしたり、固まったり、気化したりするかもしれませんが、仏は仏です。

俺が俺がの眼鏡で見れば、エゴロジーの世の中。

眼鏡を外せば、それはそこでそのようにそのまま。

混ざりも固まりもしてもそのままにしておき、さらりと流す。

それが仏の在り方ではないのかなと思い、なるべく私の、人の、何かの物差しを持たぬように努力しています。

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昨日は鎌倉に行って参りました。

実は初めて大仏を拝観いたしました。

で、上記の息子とのやりとりがあったので内部も拝観。

他の観光客から似たような感想がいくつか大仏様の中で響きました。

「な~んだ、がらんどうで何にもないんだ。」

ちょっと笑いそうになりました。

何にも知らないあなたたちの答えが、実は一番正しい。

般若心経でも「色即是空」って言ってますから(笑)。

でも私は更にそれが「空即是色」である事も運良く学ぶことができました。

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大仏様の胎内

感謝をすれば顕在するものだと知りました。

大仏様の胎内には有り難い空気が充満しています。

背中からまぶしい日が差し込んでいます。

本来全く無関係な人たちが大仏を要に縁を持って集っています。

昔の人の信心を感じています。

昔の人の技術に触れています。

感謝をすれば、それらが全部仏の一つの在り方である事が分かると思います。

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個人的にこのアングルが一番好きです。やはり背中には訴えるものを感じます。

なるべく縁を持ち感謝する。目の見えない方にも仏を観れば、ついつい手を差し伸べたくなるというもの。

鎌倉駅でお手伝いさせて頂いた事は前のブログにも書きましたが、そのご褒美でしょうか。

建長寺管長、吉田正道老師の有り難い提唱を聞く事ができました。

また、帰り際に直接ご挨拶を申し上げる事ができました。

感謝すると奇蹟と言わずとも、奇縁が生じ、自分の道を転じ高まる気がします。

平成二十五年皐月十九日

不動庵 碧洲齋