不動庵 碧眼録

武芸と禅を中心に日々想うままに徒然と綴っております。

故郷ということ

私の知人に、やたらと私の住む草加市と自分の故郷を比較する手合いがいます。

私の故郷には海も山もあるのに草加にはない。

私の故郷には豊かな自然があるのに草加にはない。

私の故郷は教育熱心なのに草加は違う。

私の故郷では町内会でみんなが集まって祭りなどするのに草加では少ない。

私の故郷には歴史的有名人がたくさん出ているのに、草加にはいない。

まだまだありますが、きりがないのでここいらでやめておきます。

事ある度にチクチク言われ、ウンザリするのですが、確かにその通りなのと、多分私が思っていることを言っても、理解しないだろうと思い、いつも黙っています。

私自身、生まれ故郷である草加市にそんなに愛着を感じているわけではありませんが、両親が家を建て自分を産み育て、そして今度はここで息子が生まれ育っています。

確かに山も海もなく、自然も少ない。東京に隣接しているだけあって、人口は過密気味です。住みやすいとは言いにくいのは事実ではあります。

私は留学や国内外に赴任のために20代の頃、トータルで7年ぐらいこの地を離れていました。また、結婚してから同じ埼玉県ですが、他の市に2年ほど住んでいましたから、合計で大体9年ちょっと、草加市以外で住んでいた計算になります。

その知人の言葉ではありませんが、本当に自分の故郷、草加市にはそんなに魅力を感じません(苦笑)。

故郷というものは、唯一無二の存在です。

比較対照としてあるべきではないと思っています。

良いとか悪いとか、あっちの方がましとかこっちの方がましとか、そういうものではないと心得ています。

また、他人の故郷を捕まえて、そっちよりこっちの方がいいなど、下品でなければ愚かとしか言いようがないようにも思います。

故郷とは他の土地と競り比べて勝るべきものではなく、心の中にいつも見える絶対的な景色そのものです。競り比べて勝るなど、観光地競争ではあるまいにと、いつも内心苦笑しています。

残念ながら人は争わねば己を認識できない類の人もいるのが事実です。ある程度競争することは大自然の法則として生き物は須くそれに従い、人類も例に漏れません。しかしながら、人間として知るべきは、争う必要のないものが何なのかを識る智慧です。これがないばかりにくだらなくも愚かで些末なことにいちいち心労を費やしてしまうのです。かつては私もその類でした。それを抛擲したとき、本当に競合すべきこと、そうでないことが割に良く見えるようになりました。不要な争いを避け、慎むことが心労を無駄に疲れさせない秘訣です。

故郷とは何か?息子に尋ねたことがあります。曰く「友達や知っている人がいること、知っている場所があること、両親がいるところ」なのだそうです。多分大きくなると遊んだ場所なども故郷の記憶になるのではないかと思います。

私の子供の頃のように自然豊かな環境はすでになく、息子は住宅が多いこの場所で暮らしていますが、彼にとって他のもっといいところ、という場所はないと言うことです。よかれと思って移ればまた、もっといいところが見えてしまいます。相対的なものの考えは故郷を遠くさせ、心を貧しくさせる。

と、思ったのでした。

平成二十五年卯月九日

不動庵 碧洲齋