不動庵 碧眼録

武芸と禅を中心に日々想うままに徒然と綴っております。

外国語を学ぶこと

私が初めて英語なるものに接したのは小学校3年生の後半ぐらい。

母が子供には英語を学ばせたいと思っていた折に、ちょうどいい具合に近所に英会話教室ができ、短期間行った記憶があります。

母方の祖母がガンで入院したときに、これからの時代は英語を話せなくてはダメだと母に言い、アルファベットをノートに書き写していたと、その頃に話してくれました。

母も20年後、英会話教室に通います。

その後、特に英語に接するでもなく、中学校になってから普通に英語を学びました。

成績は中の中。良くも悪くもなく。無論、後で自分がこんなに使うとはつゆ知らず。

故に中学校での英語の勉強は全然記憶にありません。

高校になって最初の頃も同じ。

英語の先生の一人はキッパリと「私は受験英語さえ教えられればいいと思っている。英語が話せなくても恥ずかしいとは思っていない。」と断言したのには参りました。実際、後で豪州から教育関係者が視察に来たとき、その先生は確かに話せていなかった(苦笑)。

話せる先生もいました。非常勤講師の若い女性の先生で、ヨーロッパのどこかにしばらく語学留学していたそうです。少なくとも今の私ぐらいには話せていました。私は年上の女性には興味ありませんでしたが、その先生は私がそこそこ英語を話すことを知ってから良くも悪くも目をかけてくれました。(勉強は嫌いだったのでちょっと迷惑だった)

英語を話さねばならなくなったのは、ブログで何度も言っているように、1年生の3学期、当流に入門した折。土曜日の稽古では3時間のうち半分から7割は英語、日曜日の先生宅の道場では4.5時間ほぼ100%英語でした。好きとか嫌いとかではなく、やむを得ず必死に英語を覚えた記憶があります。とは言っても買った参考書は1.2冊だった気がします。一つのフレーズを覚えたら、それを必ず使うというスタンスでした。高校卒業することにはそこそこ日常会話ができるレベルになっていました。

以後、米国に留学したのち、日本語教師となって豪州に約1年半赴任して、その後転職してコールセンターで時々英語のサポートをした後、貿易業務に就き、今に至っています。

英語の必要性について。私が生まれた頃に比べたら、間違いなく必要性は桁違いに高くなっています。が、10数年前までは全くなかった、IT技術も同じように進化し、ネット上の翻訳であれば英語に限らず、多国言語への翻訳が可能になっています。同時通訳もIT技術で非常に容易になってきました。

泥沼にならないように言っておきます。英語は単なる道具です。カーマニアが自動車を大事にしようとも、道具プラスアルファです。そしてその重要性は母国語を決して上回ることはありません。日本人にとって日本語は全く別格です。自分の心情を完璧に表現できる唯一の言語なのです。生まれたときからバイリンガルの人もいるでしょうが、私が言いたいのはそういう小数で特別な環境下の人ではなく、1億3千万人の多分9割以上は日本語だけであろう一般の人たちにとって、まずは海外に出てもブレない母国語をしっかりと学ぶことが最優先です。

昨今、小中高校生は言うに及ばず、大学生や社会人、ひいては私と同世代の親に至るまで、いささかどうかと思う日本語を使う人を多く見かけます。

特に親。ヤンキーばりというか、下品というか、同じ日本人とは信じたくないような言葉遣いをする連中がいます。

もちろん言葉遣いさえよければいいと言うものではありませんが、まずは言葉です。

残念ながら近年、学校の教育指導能力の低下はいかんともしがたく、さりとて親の親力と言うのでしょうか、これも心許ないのが現実です。

ここで例えば地域に徳のあるお坊さんとか学者さんがいればいいのですが、地域社会の希薄さも壊滅的です。

方法は分かりません。まずは正しい日本語をしかと覚えるべし。

言葉の次は祖国愛というか愛国心というか、そういう世界的にごくごく一般常識となっている、世界の常識を覚える。

日本人は道徳観念の平均はいまだ他国を抜きん出ていますが、同じくらい国への奉仕という思想が欠如しています。

日教組の教育がスバラシ過ぎて、戦後の日本人はある意味、世界的に異常です。

祖国に誇りを持てるような教育、方法はどうぞ親御さんたちで考えてください。

そこで必要であろう人は英語です。

困ったことに英語はすぐに使えるようにはなりません。

私が高校生だった頃に比べれば、格段に教材や環境は向上していますし、必要性も上がってはいますが、それでもまだまだ、必須なほどに必要なものになっていないという現実があります。

世界的に、大学院まで日本語で授業ができる、世界最先端技術も、ほとんどの分野も日本語でできる、当たり前のように思われていますが、世界でそれができている国は多分10カ国もないはずです。アメリカ、ドイツ、ロシア、日本、イギリス、フランス、ざっと見てこのくらいだと思います。そしてアメリカでは貧困層や不法移民たちが識字率をぐっと下げています。

英語が必要かどうか、これは自分で決めることです。英語を母国語にしている国は実はそう多くありません。しかし現在、英語を共通語として捉えている国が多いのは間違いなく事実です。英語が話せて困ることはありません。その労力に見合うかどうかという問題です。

できたら親御さんは、自分の経験則、自分の尺度で測らないで欲しいと思います。

子供たちの時代は今よりもっと、英語は必要になります。但し全員ではないと思いますし、IT機器の発達も視野に入れるべきでしょう。

その辺りの兼ね合いで英語をどのくらい勉強するのか、推し量ってみてください。

残念ながら、現在の学校教育では多分、全く話せるようにはなりません。

インターネットで友人を作るなりして、英語を使う機会を増やすことです。

私は必要に迫られない限りは英会話学校にお金を払う必要はないと思います。

また、日本国内にいる外国人と友達になるのもいいでしょう。

リアルに会話ができれば、かなり向上します。

私の英語力が伸びたほとんどの理由はここにあります。

英語教育が先行することは決して良い結果を生みません。

日本人はまず日本のことからしっかりと。

子供はマルチタスクでもある程度学べるようなので、それでもいいのですが、意味不明な日本語や英語を使わせないようにしてください。

下品なスラングなどは以ての外。私は英語のスラングも話せますが、絶対に使いません。

日本語のスラングを使った外国人に敬意を持てないのと同じ事です。

話す機会を持つこと。ほとんどそれに尽きます。

教材や方法論はそれから付いてきます。

知り合いにも色々な英会話参考書を買ったりしている人もいますが、近道を求めるのはどうかと思います。

まずは興味を持ち、できたらある程度の熱意かと思います。

例えば「英語でアメリカ人とハリウッド映画について語る」とか「自分のやっている武道を英語で外国人に説明する」など、英語を話すことそのものを目的にしなければよいと思います。

英語は話せて損することはありません。

そしてできたらもう一つぐらい外国語ができると、もっと世界が広がります。

人に依るかも知れませんが、労を費やしただけの価値はあるように思います。

私は今、ロシア語を勉強してます。勉強は楽しいです。この歳で純真に勉学に打ち込めることは有難い限り。

外国語を話すと言うことは、ある意味ナマの会話で外国人たちの心に触れることができます。

そこに魅力があるかないか、それは人次第。

但し忘れて欲しくないのは地球という惑星の中に人類は70億人、うち1億3千万人が日本人。そう考えると何かしら別の言葉が話せてもよいのではないかと思うのです。

自分の息子には楽しめる教材を買いましたが、少なくとも私は強制はしません。好きならやってくれるはずです。

宇宙飛行士になるというのが息子の夢ですが、英語が話せる、現在はロシア語も必須、水泳ができる、どれも手が届くところにあると言うことはよく分かっています。

だから彼には英語を学ぶことは楽しいと感じているようです。

何でも楽しみを見出しながら勉強するのが、本来の学問ではないかと思います。

平成二十五年卯月八日

不動庵 碧洲齋