最近、中国諸子百家をなにげに読んでいます。
ここ2ヶ月ぐらいでは老子、列子、荘子、論語、墨子、荀子。これから孟子、法家(管子、韓非子、商子)、兵家(七書、諸葛孔明、孫ピン、三十六計他)、易経、左伝、戦国策などを読んでみようと思います。
今の中国人にはそれ以前の中国人とは大きな断絶があります。日本人も戦前戦後と維新前後とではかなり大きな断絶があります。しかし今の中国人たちの共産党支配前後の断絶は、想像を遙かに絶してしまうのではないかと思います。実際の中国人には何人も会っているので、日本のニュースも偏りがあると感じますが、それを考慮しても巨大な断絶を感じます。
留学したとき、これらの書物も運んだのですが、当時初めて会った中国人留学生は私の書籍に呆れ驚き、にわかに懐から赤い小冊子を取り出し「そんな愚かな本は読んではいけません。そんなものを読んだら害になります。こちらを読みなさい」と毛沢東語録を見せたときは衝撃的でした。
この時代まで古い書籍が残っているという事実は、その書籍が時代の波に逆らい、生き残らせるに十分価値があると言うことです。だから私は古い本には敬意を以て読むように心がけています。
残念ながら、現代の中国人たちは、日本人ほどには中国哲学に敬意を払っていないように思います。いつだったか自称孔子の子孫さんの言動をみるに、DNA以外は何も受け継いでいないことは明白なように思いました。本物の儒教の教えを真摯に守っている人はどれほどいるのか。田舎の貧しい草民なら多いのかも知れませんが、今や彼らの生活はギリギリに苦しいと聞きます。
最近、幾つか読んでいて気付きました。
多分、既に孔子が存命中にもエセ儒家も多かったのだと思います。
とはいえ、やはり孔子が語った言葉の中には多くの真理があるように思います。
これはその当時から果たせない理想を言っていたのか、現実可能なことを言っていたのか、興味があるところです。
よい一節は息子にも素読をさせようと思っています。時々解説はしていましたが、良い句は繰り返し言わせて覚えさせるのがよいでしょうか。
平成二十五年卯月二十五日
不動庵 碧洲齋