不動庵 碧眼録

武芸と禅を中心に日々想うままに徒然と綴っております。

3年習うより3年良師を尋ねるべし

前にも似たような事を書きましたが、改めて。

何か技能を習得するに当って、良い師を見つけることはとても重要です。

我流で何とかなる場合もありますが、伝統芸能では我流は難しいでしょう。

近年ではIT機器の発達によって、かなりの部分を機械に依存することも可能になりましたが、やはり伝統芸能においては画竜点睛を欠くと思います。

故に多少時間をかけてでも良師を探す期間は決して無意味ではありません。

私は運命論や宿命論はあまり信じない方です。

ま、宿命はちょっとはあるかも知れませんが。

全ては己の志次第で蓋然性の高い巡り会いだと思っています。

とても運がいい人はいます。

私も武芸にしろ禅にしろ、かなり運がよいと思います。

しかし、間違いなく言えることは・・・

己の志相応の師しか、決してあなたの前には現れない。

・・・ということ。

高い志を持つ人にヘボい師が現れることはありません。

チョロッと習おうと思う人にも優れた師が現れることもありません。

更に言えば、チョロッと習おうと思う人には簡単に師は見つかります。

高い志を持つ人はなかなか良師には巡り逢いません。多分これは数学的な確率の問題でもあると思います。

いい道場、多い弟子、優れた功績を持つ師は大勢いると思いますが、それらが全て良い師だとは言い難いところです。しかし志の低い人はまずはそこに躓きます。

高い志を持つ人はそれらを一切排除して人を見ます。余計なものを排除した分、妥協も少ないと思います。

もちろん、必ず良師が現れる保証はどこにもありませんが。

その辺り、どの辺りで折り合いを付けるかという問題もあり、生涯の師であったり、やがて更なる良師を探すことを心に決めるなど、様々です。

基本、高い志を持つ者は、外に師を求めません。

高い志を持ち、良師を尋ね歩く行為そのものが、既に行という稽古であり、良師であるからです。

それがたまたま人に具現化した、そんな感じではないでしょうか。

まだ見ぬ良師を求めている求道者たちにそう申し上げたいところです。

適当な折り合いはいけない。

しかし限られた時間を無為にしてもいけない。

いつも心を研ぎ澄まし、身を慎み、それでいて高い志を持ちつつ積極的に道を求めていれば、きっと良き師に出会えると思います。

平成二十五年卯月二十五日

不動庵 碧洲齋