不動庵 碧眼録

武芸と禅を中心に日々想うままに徒然と綴っております。

仏と仏の狭間

先のブログで私は、山梨県笛吹市にて行われた石和川中島戦国絵巻という時代祭に参加したと書きました。 その中で深い印象のあった風景をひとつ。
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時代祭の後、私たちは着替え先である石和北小学校に向かいました。 その途中、私は笛吹市商工会議所の前をとぼとぼと通り過ぎたのですが、道路側の駐車場の隅に安置してあった、比較的新しい、白くてきれいな六地蔵に目が止まりました。六地蔵はどこにでもあります。不思議に感じたのはその背後にボロボロの石が重ねて建てられていたことです。よく見るとそれも風雨の浸食で見えなくなりかけた先代の六地蔵でした。先代の六地蔵は見ての通り相当ボロボロです。よく見ないと何だか分かりません。いえ、よく見ても、その石に何かが彫られていると言うことがかろうじて分かる程度、六地蔵と分かるほどではありません。 新しい六地蔵の前にはツツジと飲み物が供えてありました。 六地蔵地獄道、餓鬼道、畜生道修羅道、人道、天道の順に檀陀地蔵、宝珠地蔵、宝印地蔵、持地地蔵、除蓋障地蔵、日光地蔵と称されたり、金剛願地蔵、金剛宝地蔵、金剛悲地蔵、金剛幢地蔵、放光王地蔵、預天賀地蔵と称されたり、色々あって一定しません。私は一定していないところに仏の真理、お地蔵様の心があるように思います。
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新しい六地蔵と古い六地蔵の狭間を、私はしばらく見つめていました。21世紀において、武田軍の赤い甲冑姿でしばらく六地蔵を拝んでいる姿は少々滑稽だったかも知れません。 よく分かりません。その新旧の六地蔵の狭間には、確かに昔の人たちの真摯で素朴な祈りや願いが流れているように感じた次第です。 平成二十五年卯月二十二日 不動庵 碧洲齋