不動庵 碧眼録

武芸と禅を中心に日々想うままに徒然と綴っております。

石和川中島戦国絵巻

21日は時代祭としては非常に有名な「石和 川中島合戦絵巻」に参加しました。 あいにく今回から自前甲冑は不可ということでしたが、まあたまには自前ではない甲冑も良いでしょう。しかも模擬戦があるなら尚更。自前甲冑だとかなり目立つのは間違いなしです。 21日は3時半過ぎに起床。外は結構な雨が降っていました。 4時に出立。今回は久しぶりに会う友人もたまたまそれに参加すると言うことで、一緒に乗せていくことにしました。合計4人。時代祭に4人で行くのは初めてです。 それにしても雨が大降りでした。午後からは曇りになるというのが唯一の救いですがそれも分からずひたすら中央道を西進。 途中1回休憩しただけでしたが、予想通り8時過ぎには友人らが前泊しているかんぽの宿に到着。やはり同乗者がいると疲れが少ないし眠くもならない。 かんぽの宿に驚かされました。イメージでは半分お役所気分の経営で旧国鉄みたいな感じだと思っていたのですが、全く正反対。従業員はいちいち気持ちの良い挨拶や笑顔をします。宿も清掃が行き届いていました。多分業者委託だとは思いますが、正直言って一度泊まってみたくなりました。 まずは部屋に行き、挨拶をしたり持参した兵糧丸を配ったり、また、陣笠を頂いたりしました。兵糧丸の味がなかなか好評を頂きました。やはり陰干しは2.3日ぐらいがいいのかな?確かに本当の戦争に行くわけではないから、うまさ重視の方が良いのは間違いなさそうです。今までは史実重視すぎました(笑)。こんどはもっと味の方にこだわりたいと思います。 その段階で時代祭に初参加の友人たち3人はかなりテンションが高くなってきた模様(笑)。 ロビーにてしばらく様子見。 ロビーにて初めてマイミクの輝竜さんと会いました。何となくイメージしていた感じに近く、クールビューティーの王道を行くような女性でした。輝竜さんは大将役でしたが、大鎧もよく似合う、珍しく非常に感銘を受けた女性武者でした。(祭りの間、彼女の後ろ姿を見つめていた時間が長かったのはささやかな幸せでした・笑) 今回、私はリーダーより副将を申しつかりました。実質的な指揮官だとか。 雨はやや小降りになりましたが、とりあえず着替え会場である石和北小学校に向かい、頃合いを見計らって体育館に入りました。
画像
画像
今回、仲間たちの隊は2隊、一部は個人の人もいましたが、ほとんどが顔見知り。連れてきた友人は残念ながら上杉軍でした。 自前甲冑の連中なので着慣れてはいますが、正直自前でないのでたまにはとスタッフに手伝ってもらいました。たまにはちょっと偉くなった気分もいいの。 さすがに仲間たちは普通に着たり、ノーマルなままにはしません。ホラ貝や銅鑼、肩脱ぎなどなど、ギリギリ許せる限りのアイテムを着けました。 外に出るととりあえず雨は止んでいました。いやいや大したもの。最初に記念撮影をしてから整列してリハーサル。300名以上はいるであろう大軍団です。 今回はほとんど初めて参加する有料の祭りで4000円でした。普通、祭りは無料で弁当やちょっとしたお土産が付きます。撮影は武田信玄公と一緒でした。
画像
その後は昼食。腹が減っていたのでもう1個食べたかったのですが、なにげに始めた模擬槍の槍突きに熱中。ジャングルジムの1寸程度の骨組みに、半寸程度の穂先を打ち付けられるか。私は絶対できると確信がありましたが、やってみて笑えました。納得のいくヒットは3割程度。針の穴に通せる程度の技量がなければイカンのです。しかも動きのブレが分かりすぎる。全然ダメでした。しかもそのブレが確実に自覚できるレベルというのはどういうこと?槍遣いの名を返上だと内心呟きました。もっとも使った槍は8尺以上もあるもので、軽いものです。いいわけがましくなりますが、いつも使っている槍とはかなり違います。長もの武器による1寸以下の精度の向上、課題にします。 上杉軍は別の小学校から出陣、こちらも出陣しました。行き先は笛吹川河川敷。大きな協賛会社の幟が土手沿いに何本も立っていて、土手には観客が大勢。川には仮設の橋が架けてあり、反対側には同じぐらいの人数の上杉軍。遠目で見るとちょっと怖いくらいです。
画像
画像
両軍が配置に就くと寸劇が始まりました。多く動くことはありませんが、一度に数隊が動くとそれだけで壮観な眺めです。米沢の鉄砲隊がその前の演武のみならず、寸劇でも数多く発砲していただいたので、非常に臨場感がありました。どこぞの鉄砲隊と違って非常にサービス精神旺盛でした。メインの総当たり戦。いや、マジでびびりました。あちらからの攻撃が数回、こちら側からの攻撃も数回ですが、本当に数百人がワーッと突撃してくる様は例え祭りでも恐ろしいものです。一人の武芸の達人などは大したことないことが分かりました。10人の良く訓練された足軽の方がよほど役に立ちます。後、戦場では1対1に慣れきった武芸者は即殺されますな。私はいつも稽古時は両方や背後にも気を配って稽古してますが、戦場の武術は基本、全く別物と思ったりもしました。私は幸い背後や脇から不意を突かれることはありませんでしたが、それはみんながおもしろ半分にやっていたから。真剣だったら何度か殺されていたと思います。
画像
画像
その後、騎馬戦。今の馬は乗馬用です。だから騎馬戦はおろか、甲冑を着た人間が乗る、長い槍を持って乗ることすら難しいものです。それを大河ドラマでやっているような騎馬戦を目の前で繰り広げていました。もちろん馬は大河ドラマなどで使われている、特殊訓練を受けた馬ですが、乗っていた騎手の腕もなかなかのもの。馬に乗って戦うことの難しさがよく分かりました。あんな機動力では確かに歩行武者では勝てません。もっとも戦国時代の馬は昨日見たようなサラブレッドではありませんから、もしかしたらそれほどでもなかったのかも知れませんね。その頃になると曇りどころか晴れ間も見えてきました。 これほどの大規模な祭りは初めてでしたが、さすがです。それと今回、参加者の概ね半数は女性だったとのこと。いやいや驚きました。
画像
画像
帰路はゆるりと勝ちどきを上げたり、公園で記念撮影したり。武装を解く前にまた撮影したり。 着替えてから車を止めてあるかんぽの宿に。信玄餅を買い、記念?に三ツ矢サイダーをリーダーから頂きました。 帰路はまたゆるりと帰りましたが、話しながらだったので眠くもならず。久しぶりにその友人と語りながら帰路に就きました。 今回は久しぶりに自前でない甲冑で参加しましたが、良い経験ができました。 平成二十五年卯月二十二日 不動庵 碧洲齋