今し方、ボストンマラソン爆破事件の容疑者を拘束したとのニュースを見ました。
あのボストンにて外出不可になり、大勢の特殊警察が出動するなど、世も末といった気がします。
彼らは兄弟でチェチェン共和国出身だそうです。
どちらもごく普通に市民として生活し、大学まで行っていたそうですが、動機は何だったのか。
イスラム教の考えの元で引き起こしたのなら、イスラム教やアラーを冒涜しています。イスラム教はそういうことは絶対に推奨しません。イスラムに関するテロはアメリカのバイアスがかなりかかっているように感じますが、それでも犯行を手がけた人たちは宗教を隠れ蓑にしているだけで正義を信じている、宗教とは関係ない連中です。
テロでなくともイスラエルのような国家規模で弾圧する連中も同罪。
チェチェン共和国の政情で考えるなら少なくとも爆弾をしかける先はロシアであってアメリカではないはず。しかし今、たとえモスクワに爆弾をしかけたところで何も進展しません。ロシア人でもチェチェン侵攻は理不尽だと思っている人が多くいます。私のロシアの友人も罰金を払って徴兵拒否し、チェチェン紛争に行きませんでした。国防のための徴兵拒否はすべきではありませんが、こういう場合は行かない選択肢もあるべきです。
個人的には移民後の孤独感が原因だと思います。
イスラム教徒は今、アメリカではとても肩身の狭い思いをしています。
そして日本人は驚くほどその実情を知りません。
入ってくる中東関係の情報はかなりアメリカに都合のよいようにバイアスがかかっているように思います。
私も留学で米国に3年少々、赴任で豪州に1年半住んだことがありますが、疎外感というものはあるものです。
ましてやイスラム教徒ともなるとこれはもう息を潜めてと言うレベルの場合もあります。アメリカ人の多くはイスラム教徒に対してはかなりの差別意識を持っているようです。現実には過激な人はごくごく一部ですが、仏教徒や基督教徒の割合で言うとやはり少々過激なのが多いようには思います。20年少し前でも大手を振っていられた中東人は言うまでもなく親米国家でした。まあ親米国家以外からの留学生をもたくさん受け入れている辺り、日本とは比べものにならぬ懐の広さを感じますが。
どうして爆弾になってしまったのか。確かにイスラム教徒には少々過激な人が見受けられます。宗教ではなく中東という文化的なものだと思います。砂漠に住むとそういう考えになるのでしょうか。宗教も関係せざるを得ませんが、私たちが思っているほどではないと思います。
例えば留学中に会話で「傘」というテーマが上がると、「雨」「相合い傘」「日傘」などなど出てくるものですが、シリアだったかパキスタンだったかの学生は「刺し殺せる」「叩き殺せる」とか普通に言います。彼らには日本の武士のたしなみは全く不可解です。強いことを隠し慎み謙遜するのは奇異に見えます。それで私は散々迷惑被りました。
しかしそれがよい悪というのはものすごく主観的です。日本の常識は世界の非常識というのは真理としては大嘘ですが、そのぐらい常識は違うと言うことはまさにその通り。文化や思考形態が全く違うことに日本人は笑ってしまうほどに慣れていない人が多いのです。これはやはり外国人に接する機会が少ないからでしょうね。やむを得ないとも思えます。ただしこれはそう遠くない将来に大いなる禍根を残すことは間違いありません。この辺り、国の教育方針でなんとかできる範囲なのかどうか、考えどころです。
日本文化にも差別というものはありますが、中国人が10人いたら10人とも憎んだり、韓国人が10人いたら10人とも憎むような愚かな思考に陥って欲しくないと思いつつ、自分の息子を教育しています。
平成二十五年卯月二十日
不動庵 碧洲齋