不動庵 碧眼録

武芸と禅を中心に日々想うままに徒然と綴っております。

ガンバが死んでしまいました

日曜日、夜の坐禅会からの帰路、駅からバスに乗るところで家から電話があり、出てみると息子。泣きながら何か言っているので、何度かただしてみると、「ガンバが死んじゃった」とだけ聞こえたため、すぐに帰宅する旨を伝えました。

帰宅すると居間のソファの上で息子が丸くなって片手は動かなくなったガンバを手にしながら大泣きしていました。

事情を聞くどころではなかったので、取りあえず慰め、しばらくしてから亡骸を仏壇に置き、エサと水を供え、線香を点け、二人で手を合わせて読経しました。

息子にはまず、前のガンバやエル(飼い犬)達と一緒に仏様になっている、お前を恨んではいないはずだと言うと、少しほっとしたようになりました。そこでいつも通り風呂に入り、落ち着いてから息子にガンバへの手紙を書かせました。私も息子にせがまれて、一言書いて、封をしました。

原因はよく分かりませんが、息子がガンバをケージから取り出した後、いつもよく息子が被っている毛布の大きなチョッキにガンバをくるんだまま(ガンバはその中で遊ぶのが好きでした)、かなり長い時間、ガンバがそこから出られなくなるような感じで息子が座ってしまい、テレビか何かに気を取られて忘れていたのでしょうか、気付いたときは窒息したのか、暑すぎたのか、死んでいたようです。

前回とは違い、完全に息子が原因だったため、その罪の重さは非常に大きかったのだと思います。

私は彼を責めませんでした。あれだけかわいがっていたのに自分の過失で殺してしまった事の重大さを感じていたためです。そういうときに傍観者として原因や対策、批判や非難を投げるのは愚の骨頂です。私は彼の同伴者として一緒に悲しみました。実際、私と息子とガンバは3人で仲むつまじくしていましたから。

こういう時にあれこれ非難したりケチや文句を言う人がいたとしたら、それは部外者、傍観者です。私は彼にとって同伴者でありたいと思いました。それだけに何をしてやれるか、どう接するべきか、我が事のように分かりました。もちろん私も泣かずにはいられませんでしたので、読経も一苦労だったことは言うまでもありません。

その日は息子を私の布団に入れて一緒に寝ました。

相当疲れていたのか、風呂に入ってリラックスできたためか、布団に入ると3分とかからずに深い寝息が聞こえてきました。

まだ9歳です。そういう失敗や過ちはまだまだするでしょう。今回のように取り返しの付かない事もまだまだあると思います。

問題なのはそういう経験を最大限に生かしてやれるような手伝いをする事です。しかしそれは説教をする事ではありません。

一緒になって同じぐらい悲しんでやること、同じぐらい悔やむこと。説教やアドバイスは二の次です。

翌日、早朝に起きてもう一度読経してから亡骸を庭の隅に埋めて、線香を立てました。

手紙はその時、一緒に燃やしました。

そして帰宅後、私は息子とガンバは何故死んでしまったのか話しました。

色々話し、結論は「一つ一つのものを大切にしなかったから。一つ一つのものをちゃんと元に戻さなかったから。」となりました。

出したまま、放置したままという習慣がガンバを殺させたという結論に、息子は大いに納得した様子でした。

そして私は、どうして一つ一つのものを大切にしなければならないのか、一つ一つのものをいい加減にしてはいけないのか教えました。

この世の全てのものは仏の在り方、仏の現れだから、どんなものでも大切にしなくてはいけない。

ゴミ一つ、塵一つでさえもありがたい仏様だから、ちゃんと捨てる。物だったら使い切るまで大切に使い、放置したりいい加減に使ったりしない。米粒の一つに至るまで仏だから決して残さない。全てのものを正しく大切に使い切ることが仏様に対して一番の供養であり、尊ぶことである。

僧堂やお寺がいつもきれいにしてあったり、ものがボロボロになるまで大切に使われるのは、そのためだとも言いました。

いつも言っていることでしたが、今回、息子の心に深く刻まれたように思います。

家に帰ってきたらまず靴を揃える。学校の準備をする。使ったものは片付ける。そういう積み重ねが生きているものや壊れていないものを大切に扱う基本だと言うことが、本人にはよく理解できたようです。

もっとも、それは私でも完全にする事ができないから、これから一緒に仏様に失礼がないように一緒に頑張ろうと言ってやりました。

息子にはしばらく毎日、帰宅したら仏壇に手を合わせることを言いつけました。

仏に手を合わせることそのものは大切ではありません。日々の生活をきちんと行うことが仏を大切にすることだと分からせたいためです。

さすがにしばらく動物を飼うことは憚られますが、次回、また飼うことがあったときは、もっともっと息子の内面が成長していることだと思います。

手紙を封する前に写真に撮りました。

手紙の最後には「またあうときがきたらあそぼうね。」とありました。

息子の仏に対する理解の深さ、尊さに感謝すると共に、嬉しくも悲しくもありました。

息子は万物は全て、遠く時の輪がどこかで必ず接するのを既に知っています。

死んだら最後ではなく、皆生まれる前にいたところに戻るだけことを心でよく理解しています。

それは多分、私よりもよく理解しているように思います。

生きていても死んでしまってもガンバは「いる」。決していないことにはなりません。

禅仏教では「いる」とは「いる/いない」のいるではなく、やはり「いない」とは「いる/いない」のいないではありません。

生死というのはそのものの現象の一つの在り方に過ぎないことを、心で分かっているようです。

子供というのは仏そのものです。息子はわずか10年前に仏の世界から来たばかりですから、そういう智慧をまだ心に持っています。

私はそのことを息子に指し示しただけです。私は今、生まれてきたところからも、死んだ後のところにも人生において一番遠い場所にいます。

そう言うと、息子は自分がまだ、仏に近いところにいることに満足したようでした。

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文末の印は息子が自作した花押です。

パスポートのサインにも使っています。

大切な局面でよく使っているようです。

日曜日は本当に色々なことがありました。

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在りし日のガンバ

平成二十五年卯月十六日

不動庵 碧洲齋