不動庵 碧眼録

武芸と禅を中心に日々想うままに徒然と綴っております。

暗闇を観るということ

何度か山ごもりをしたことがあります。

ドラマによく出てくるような感じですが、まあ数日ぐらいと言うことで。

初めてやったのが高校2年の時。

秩父の、登山道がない寂れた山に行きました。

正直、数日山ごもりしたからと言って、何か分かるほど世の中甘くありません。

せいぜい、一体何に悩んでいるんだとか、ハッキリしていることとそうでないことの境界線がある程度明確になる、といった感じでしょうか。

何も分からないほど意味がない、とは言いませんが、どれだけ分かるかは人それぞれ。

でもドラマのようには悟ることは、まあないでしょうな。

先代宗家は1ヶ月ぐらい、サバイバルで山ごもりしたそうですが、本当にそうするならそのくらいの覚悟はすべきでしょう。私なんかとてもとても。

独り山にいて、一番怖いのは夜。

どんなに明かりを付けても真っ暗です。

目を開けているのかどうかさえ分からないほどの暗闇です。

山奥なので景気よくたき火もできません。

当時は最新鋭だった、ミニマグライトの強力な光も、壊れているんじゃないかと思ったほど。

泊まったのは蹴ったら崩壊するであろう、既に半ば崩壊していた小さな小屋。

(数年後に行ったら既に跡形もなく崩壊してました)

枝をちょろちょろと燃やす、そんな程度です。

あとはローソクとかサイリューム(当時は相当高価でした)とか。

懐中電灯も長時間点けておく訳にもいかず。

初めて独りで山に泊まったときは寝られませんでした。

眠くなったのは空が白みかけた朝でした。

寝袋の周囲でカタカタ、トタトタ音がすると思ったら、リスが飛び跳ねていました。

翌朝は標高2000メートル超の山に登りましたが、みごとに迷子になりました。

元々まともな登山道がないので迷子というのか何なのか。

しかし不思議なもので、未知を完全にロストしても、ちゃんと戻ってきました。

日没まで1時間といったところでした。危なかった。

その日は真っ暗でも爆睡しましたね。

米軍のMRIごときがうまかったのなんのって。

(これも当時は非常に高価でした)

翌日は小屋の周りで独り稽古。それから山歩き。

無心でダーーーッと20、30分ほど歩き、戻る。

怪我をしたら周囲数キロに人家がないので大変。

気をつけました。

真っ暗な森の中にいると、見るという行為が全く無意味になってきます。

耳が痛くなるほどの静寂もあります。

(一度山火事になったらしく、動物もあまりいなかった)

人間の五感のうち、視力から入る情報は8割だそうです。

だから見えないと全情報の8割をロストする計算です。

当時は怖いもの知らずの私だった私でも本当に怖かった。

今やってみたらどんな感じだろうと思います。

今は自分を消すことを徹底しています。

全く逆の方向に歩いている自分が、そういう環境にいたらどんな感じになるか。

とても興味があります。

顔に付いている眼ではない何かで、本能的に見ようとするかも知れません。

いや、見るという行為とはちょっと違うかも知れないが。

今はその感覚が何となく分かります。

実際のところ、修行が進むと会社でも自宅でも山でもどこでもあまり関係なくなりますが、やはり現実の周囲環境が何かを醸し出すことは間違いなくあります。

それがあるから、何度も山ごもりをするわけです。

1日2日でもやらないよりはやった方がいい。

ただ、日頃からある程度の心構えや基礎知識がないと普通のキャンプと代わらなくなってしまいますけどね。

折を見て今年中に久しぶりに独りでやってみようと思っています。

平成二十五年弥生八日

不動庵 碧洲齋