時々、息子はぽつりと、しかし高等な難問を投げかけてきます。
今朝はパンダについて。
「あのさぁ、元々生命力が弱いパンダを人間が助けてもいいのかな?」
昨年の前半だったかと思います。欧州の学者の方が、元々生命力がそんなに強くないパンダを、国家が(この場合はもちろん中国ですが)ものすごい高額な税金を投入してまで保護、繁殖させるべきなのかどうか、そしてそのパンダを政治的な利用をするのはいかがのものか、という記事があり、それを息子に話したことがあります。
それを息子は覚えていたようでした。
「自然では弱い生き物は死んでいくのが普通だよ。弱いものは死んでいくんだ。人間も自然に逆らっちゃいけないんだよ。」
「ああ、そうだな。特に中国は政治的ににも利用しているからパンダは可哀想だな。でも滅びかけている生き物を助けられるのは人間だけだ。さて、それでも助けないべきか。」
「う~ん。」
息子は大自然の冷厳な摂理と人間にのみ許された、他の種族を救うという慈悲を両天秤にかけているようでした。
「パパもどちらが良いか分からない。世界の子供たちはみんなパンダが好きだし、助けてあげられるのは人間だけ。でも中国にはパンダよりも悲惨な生活をしている人は何億人もいるし、公害もひどいからパンダどころでもない気もする。」
「だよね~。そこが難しいところだよね。お釈迦様なら助けるだろうねぇ。どっちが正しいのかな?」
「さぁ、どっちだろうな。」
私にも分かりません。中国政府がダシに使うことには怒りを覚えますが、それでもパンダの愛くるしさを考えると、助けるべきなのかどうか、悩みどころです。
正解ではなく、この極めて難しい問い自体が、息子をより高い精神に持ち上げてくれるものだと思っています。
お子さんにも時々、答えのない難問を投げかけてあげて下さい。これは必ず親子共々、精神的に成長させる糧となることでしょう。
平成二十五年弥生七日
不動庵 碧洲齋