不動庵 碧眼録

武芸と禅を中心に日々想うままに徒然と綴っております。

万葉集に寄せて

先日読んだ万葉集の本で特に感銘を受けた反歌をここに記す。

見れど飽かぬ 吉野の河の 常滑の 絶ゆることなく また還り見ゆ

巻1 37

うらさぶる 情さまねし ひさかたの 天のしぐれの 流らふ見れば

巻1 82

天の原 振り放けみれば 大君の 御命は長く 天足らしたり

巻2 147

神山に たなびく雲の 青雲の 星離れ行き 月を離れて

巻2 161

不尽の嶺を 高み恐み 天雲も い行きはばかり たなびくものを

巻3 321

目には見て 手には取らえぬ 月の内の 楓のごとき 妹をいかにせむ

巻4 632

常磐なす かくしもがもと 思へども 世の事なれば 留みかねつも

巻5 805

朝霧の 消易きあが身 他国に 過ぎかてぬかも 親の目を欲り

巻5 885

千万の 軍なりとも 言挙げせず 取りて来ぬべき 男とそ思ふ

巻6 972

愛しきやし ま近き里の 君来むと 大のびにかも 月の照りたる

巻6 986

白珠は 人に知らえず 知らずともよし 知らずとも われ知れらば 知らずともよし

巻6 1018

一つ松 幾代か経ぬる 吹く風の 声の清きは 年深みかも

巻6 1042

山高く 川の瀬清し 百世まで 神しみ行かむ 大宮所

巻6 1052

中でも

一つ松 幾代か経ぬる 吹く風の 声の清きは 年深みかも

この九が気に入った。

これは先の東日本大震災の一本松を思い出す。松は常緑樹であり、寿樹として覚えめでたき木であるが、季節の如何を問わず、常にこのようでありたいと思う。

それにしても古代日本人の歌は、21世紀の我々の琴線にも触れるほどに近い事を知った。

これからも続きを読んで参りたい。

平成二十五年弥生二十六日

不動庵 碧洲齋