私が在籍していた幼稚園は川口市の東端、関東平野には珍しい丘陵地帯にある安行東光幼稚園という幼稚園でした。
東光幼稚園は真言宗東光寺が経営しています。
創立は私の生まれと同じ昭和44年、私が入園したときはやっと、年少から年長までのクラスがそろった頃でした。ほんの少し、小高くなっている所にあります。今はめっきり自然が少なくなってしまいましたが、当時はちょっとした山の中といった趣でした。
朝、幼稚園のバスが迎えに来て、自分たちを乗せ、東光寺の境内などにバスが止まると園児達はまずお寺の本堂の前に集合して祈りを唱えます。
わたくしたちは
みほとけさまに
まもられて
いつもただしく
なかよくします
なむじぞうだいぼさつ
当時はなんの事かさっぱり分かりませんでした。
とりあえず元気よく唱えてから園に向かったものです。
習慣というものは恐ろしいもので、この祈りの言葉だけは今でも忘れずにいます。
それがなんなのか分からずに、元気いっぱいにそれを唱える。
まさにそれが仏の有様そのものだったのだと思います。
学校に行き知恵を付け、善悪がある事を知り、言葉を巧みに操る事を覚え、知識を貯め、それからどんどん、仏から遙か遠くに遠ざかって行ってしまったようです。
人生大体80年とすれば、普通、40歳ぐらいが一番、仏から遠ざかっているのではないでしょうか。
父の死などをきっかけに、今まで何となくやっていた禅に真剣に取り組み、息子に対しても禅宗仏教的な要素をふんだんに取り入れた教育をするようになりました。まともな宗教であれば何でも構いません。科学以外をカバーしてくれる教えが人には必要です。それを忘れた戦後の教育が何となくいびつである事は、国民の多くが感じているところだと思います。
最近ですが、息子をそのように育てているうちに、ハッとなりました。
私たちは
御仏様に
守られて
何時も正しく
仲良くします
南無地蔵大菩薩
この言葉が言わんとする事を悟った気がします。
そうか!それを言いたかったのか!
どうして今まで気付かなかったのか!
そんな感じです。
もしかしたらそれは私が預かった人生最初の公案だったのかも知れません。
38年経って初めて、その見解に触れた気がしました。
しかしそれは、結局3歳の頃に元気よく唱えていた、まさにそのことに尽きます。
この辺り、ちょっと言葉では語り難し。
ともあれそれが分かるのに私は38年もかかったという事です。
何ともノロいとはこういう輩を指すのでしょう。
少々癪ですが、多分、息子はもっと早く、そういう真理に気付くような気がします。
それはそれで御仏に十分守られているのだろうと思えば、有り難く感じます。
平成二十五年弥生二十五日
不動庵 碧洲齋