不動庵 碧眼録

武芸と禅を中心に日々想うままに徒然と綴っております。

長徳寺 坐禅会について

臨済宗建長寺派 大智山長徳寺 坐禅会(座禅会)について

今まで私が参加する坐禅会についてはあまり詳細な場所などを書きませんでした。理由は大きな禅堂を擁する大きな寺院とは言え、収容人数には限りがあり、暖かくなるとどっと人が増えて坐りきれなくなることしばしば。先輩で常連の方々の修行の邪魔になってしまうため。ここでは作法についてはその場では教えてくれません。要するにあまり初心者向けの坐禅会ではないと言うことができます。自分でよく作法について調べるか、初心者向けの坐禅会などに参加してから来ることをお勧めします。座禅会の前に訪れて雲水に質問するのもいいと思います。いきなり初心者が何の予備知識もなく坐禅会来ると、堂内で常連や雲水が沈黙を破って色々説明せねばならなくなります。そしてそれは他の方々の禅定を妨げることになります。そのあたりぜひくみ取って頂ければと思います。ちなみに老師の意向なのか、臨済宗の公式ホームページにもこの寺の座禅会は明記されていません。そのくらい、本来ひっそり行われているものとご理解下さい。

この場で私に質問して頂いて構いませんが、私は寺の責任者ではなく、常連では若輩なので、完全に責任は持てませんので何卒ご了承下さい。

座禅会は基本、毎月第1、第2日曜日朝6時から8時ごろまで、境内にある禅堂にて行われます。

1月は正月の兼ね合いで第2週、第3週になることもあります。

8月はお盆の兼ね合いで1回になります。

12月は通常の早朝坐禅会がない代わりに、1日から7日まで、夜19時から21時ごろまで連続して行われます。これは臘八(ろうはつ)座禅会と呼ばれます。その昔、お釈迦様が12月1日から8日の朝まで坐り続け、8日の明けの明星を見て悟ったことから行われています。

遅くとも開始10分前には坐れるように準備した方が良いと思います。

一般的な注意は他のサイトにたくさんありますので、あくまでこの寺の坐禅会に特化した注意事項にしたいと思います。

着るもの。普段着で構いません。着物、作務衣の人もいます。私は作務衣を着ます。冷暖房は全くないので、冬はマイナスになることもあり、かなり寒いです。夏は明け放れていますが、暑くなります。寺院なのであまりだらしない格好は慎みたいところです。しかし坐りやすい格好でないと続きません。一番寒いのは1月から2月になります。

持ち物。ハンカチとポケットティッシュ、筆記用具。携帯電話ですが、電源を切ってください。バイブモードはだめです。電源を切るのが面倒であればサイレントモードのように音もバイブもしないのはいいと思います。とにかく不意に音が出ないようにご注意ください。地震警報はどうなんでしょう(笑)。分かりません。寒いときはいくら重ね着しても大丈夫ですし、カイロを持参しても大丈夫ですが、坐禅時は裸足になります。私の経験ですが、少し寒いくらい、少し暑いぐらいの方が集中できます。冬場、暖かすぎると眠くなるかもしれません。

早朝なので駐車場は結構空いていると思います。暗い上に参加者がぼつぼつやってくるので駐車場内で事故のないように十分気をつけてください。

駐車場にはできて間もない真新しいトイレがありますので、そこで予め済ませておくことをお勧めします。禅堂にもありますが、古くて暗いので使いにくいです。

坐禅会自体は6時からですが、私は5時半から坐ります。少なくとも10分前には来た方が良さそうです。

この寺は大きいので老師以下雲水さんが常時3人、多いときは6人ぐらいになります。今は珍しく豪州から外国人の雲水さんが一人、来ています。

常連の方たちは10人はいない程度。私などはこれでも最年少か下から番目ぐらいです。ほとんどが私の父ぐらいの年齢の方です。最近は割に若い方も増えてきていますが、朝起きが辛いのか、坐るのが辛いのか、継続する人は少ないですね。

遅刻したら原則入れないと思って諦めてください。

夏場は予め蚊取り線香が焚いてあるので、蚊に邪魔されることはあまりありませんが、念を入れて虫除けを使ってもいいかもしれません。経典ですが、寺で予め買うことができますが、当日は早朝で忙しいので、他の日にしてください。定価はあったかも知れませんが、御布施も兼ねて3000円とか、そのくらい包めば礼に失しないと思います。坐禅会自体は無料でしかも茶礼が出ます。長く参加したいのであれば、そのくらいは出しましょう。簡単な無料の経典は本堂の入り口右側にも置いてあったかも知れません。こちらは臨済宗関係のお知らせ同様にタダで持って行けますが、座禅会に参加するのであればやはり最初はなにがしか御布施を包んでください。

禅堂正面は大きな飛び石があり、落ちると段差もそこそこありますので、冬など暗いときは十分に注意してください。坐禅後、本堂に戻るときも足がしびれて踏み外す人が希にいます。禅堂の正面に上がったら、一礼します。正面に文殊菩薩が祭られているからです。そして右手から裏手に回ります。裏手には履き替え用の草履があるので靴と靴下を脱いで草履を履きます。

堂内は無言です。挨拶もしません。物音も最小限にします。全てをキチッとしなければなりません。草履を揃えるとか、荷物を置くとか、座布団を整えるとか、そういうことです。これが日常に活かされれば大したものです。

言うまでもなく堂内は埃一つないほどにきれいに掃除がされています。

入る前は一度深呼吸をして障子戸を開けます。普通、自分が坐る側の方だけ開けますので、例えば私は右側を開けます。入堂は左足から、出るときは右足からと決まっていますが、初心者はあまり気にしないでもよいと思います。入堂して戸を閉めると一礼。そして手を合掌したまま自分の単に向かいます。単とは坐る場所です。荷物があるときは合掌は片手でも構いません。多分。斜めに横切ったりするのはあまりよくないようです。ちゃんと90度に曲がるのがよいと聞きます。

もちろん、坐ろうと思っていた側がすでにいっぱいだったら、反対側でも一向に差し支え有りません。

単は特に指定席というのはありませんので、自分が坐りたい場所に坐ってください。右奥と左手前だけは老師と雲水の単なので、それ以外の単になります。単の前に来ると単の前に一礼します。曹洞宗では単に向かって一礼します。中には両方に礼をする人もいますが、これもよい方法だと思います。どちらの宗派の坐禅会に行っても間違い有りませんから。スムースに行うには草履を脱いで足を揃えてから一礼した方が良いでしょう。そして単縁(土間に面している木の部分)には腰掛けてはいけません。そこは経典を置いたり食事の時にはテーブルになるので、腰掛けてはならないそうです。この禅堂では食事はしませんが。ただし高齢者の方などはちょっと腰掛けないと難しいので、そういう場合は腰掛けてもよいと思います。荷物は窓際の棚に置いて、経典を座布団の左後ろの辺りに挟み、自分の単(坐るところ)につくと、坐禅を始めます。経典は後で必要になりますが、しびれた足で立ち上がるのはなかなか大変なので、予め手の届くところに置いておく方が楽です。休憩時間にトイレに行くかも知れない場合はハンカチをポケットに入れておくとよいでしょう。鼻をかむ人は同じくポケットティッシュを持つことをお勧めします。夏場はタオルがあるといいと思います。この時間でも暑くなってきます。

どうしても質問等がある場合は雲水に聞いてください。いない場合は常連とおぼしき参加者に質問しても構いません。その場合はもちろん、小声でお願いします。

6時になると老師が現れます。

禅はシンプル、単調そのものなので、雲水さんたち、老師、常連メンバーに限って言えば、足音でも誰か分かりますし、堂内に入ってくれば歩き方でその時の体調や心理状態なども分かることがあります。常連でなくてもやはり歩き方、坐り方、立ち居振舞で結構分かることがあります。シンプルな生活というものが実は恐るべきものだと言うことがよく分かるときです。北朝鮮から逃げてきた人たちの手記をよく読んでいた時期がありました。どなたかが、北朝鮮では毎日が単調なので、驚く程よく、細かなことまで覚えている、と言っていましたが、よく分かります。

老師が入ってきて、線香に火を点けると、引金を一度鳴らします。そうすると雲水の一人がさっと立ち上がり、急ぎ足で禅堂の外に吊してある木の板を同じく木槌で叩き始めます。鳴らすリズムは「7・7、5・5、3・3」ですが、間は余韻を残すような叩き方をします。その間、老師は禅堂に安置されている文殊菩薩に三拝をします。三拝とは立った状態から膝をつき伏せる行為を3回することです。

文殊菩薩は入り口と反対側なので、私から老師の三拝を見ることはありません。

ここで一つ、禅堂には入り口が二つありますが、入るとき決して間違えてはいけないのが人の出入り口用とそうでない用です。普通は正面側に見える入り口は人の出入り用ではない場合が多いようです。間違って入らないようにしてください。多分、坐禅会があるときは参加者の靴などが置いてある側の入り口が、人の入り口と考えれば間違いないでしょう。

三拝が終わると老師が拍子木を2回叩き、引金を4回鳴らし、坐禅が始まります。ここから基本、動いてはいけません。

この寺は森が豊かなので、カラスの鳴き声が結構うるさく、慣れない人は不快に思うかも知れません。そういえば一休さんはカラスの声で悟りました。何がうるさく、何がうるさくないなどと言う考えを棄てるのもまた一興かと思います。

約30分弱で老師が拍子木と引金を1回ずつ鳴らし、「抽解(ちゅうかい)です」と言います。要するに休憩時間です。足を解いて、暫し休みます。足のしびれがひどい人はお堂の周りを歩くことをお勧めします。ただ座っているよりもしびれが早く直ります。少々眠い人にもお勧めです。もちろんトイレに行っても構いません。繰り返しますが、休憩中に単縁に足を乗せないようにして下さい。

5分弱で2回目が始まります。2回目は雲水の一人が肩を叩く棒を持って巡回します。一度、警策を持った雲水は早足で一度、皆さんの前を回りますが、これはこれから巡警します、という合図なので、このときは警策をしません。警策を始めるのは警策をする雲水が老師の前に戻り、老師が引金を鳴らしてからです。音は結構恐ろしげですが、思っているほどには痛くありません。むしろ眠気覚ましや背中のこりをほぐしてくれます。厚着をしているとあまり効果がありませんが、夏場のTシャツだと場合によっては痛いかも知れません。冬は左右4回ずつ、夏は2回ずつです。叩かれたい場合は巡回の雲水さんが来たときに合掌します。すると雲水さんは向き直るので同時に一礼。基本は歩いてきた側の方から打たれます。打たれる側の手を反対側の肩に回し、反対側の手を単縁に置き、低頭します。首も叩かれる側と反対側にかしげます。警策は背中の背筋を打ちます。打たれる間は決して動かないように。背骨に当ると痛いです。一方を叩いてもらったら、すぐに反対側を準備します。で、終わったら一礼。基本的に一人1回でしょうか。あまりビシバシ叩かれるものではないですね。

冬場は特に警策が折れることがあります。代わりの警策は用意してあるので、警策はすぐ受けられますが、坐禅会が終わったら、老師に折れた警策が欲しいと言えば、揮毫してくれるかも知れません。私も一つ頂きました。1年ぐらい継続でき、そういう場面にあったら、お願いしてみるとよいでしょう。

坐禅は1柱、2柱と数えます。要するに1回の坐禅は線香1本分という意味です。本当は木偏ではなく火偏のようですが、パソコンによっては表記されない場合もあるので普通の柱にしました。2柱目の終わりもまた、始業と同じく、雲水が外の木版を叩き、老師が三拝をします。それが終わると結跏趺坐を解いて正座をして般若心経を読経します。正式は暗唱できても開いて読むことになっているようです。経典を開く場合は概ね目の高さ。木魚に合わせて斉唱します。持っていても開かない場合は単縁に置きます。その場合、手は白隠結び。合掌ではありません。

般若心経の後は白隠禅師和讃。こちらは合掌です。ちなみに経典を開かない場合はどちらを読経するときも半眼にします。

それが終わるとその場で三拝をします。初めての人は戸惑うかも知れませんが、左右の方を見ていれば間違いなくできます。一番怖いのは足がしびれて上手く立てないこと(笑)。無理はしなくて構いません。気をつけてください。

三拝が終わると、先に老師が退出します。その後、参加者が退出しますが、降りるときも単縁には腰をかけない。草履を履いたら一礼。今度は合掌ではなく、右手の甲に左手を重ねて歩きます。荷物を持っている方は構いません。

入り口で一礼して、今度は右足から外に出します。必要なときはこのときからしゃべっても構いませんが、この後も老師の提唱があるので、あまり不要な話しをしない方が良いでしょう。皆さんはさっさと本堂に行かねばならないので、立ち話は周囲に迷惑がかかります。

禅堂の正面に来たら、やはり安置されている文殊菩薩に対して一礼します。そして禅堂を降ります。

本堂に移ったら記帳して席に着きます。常連は老師に近い場所。私もこの6年でどんどん前になっていきました。恐縮します。記帳は人数が多いと時間がかかるので、提唱後にしても構いません。

本堂に戻ってもトイレに行けます。老師が提唱のために現れる前に済ませられます。

現在の提唱は「無門関」コピーがいつもありますが、漢文が不得手な人は予め本を買うことをお勧めします。冬場などはマイナス何度というところから20度近いところに移ってくるので眠くなることがありますが、ご注意を。私とて急に暖かくなると眠くなります。

それが終わると茶礼。常連が抹茶を点ててくれます。私もそのメンバーです。人が多いと大変ですが、流れが分かっている常連に任せてくれた方が助かります。その間、雲水が茶菓子を出してくれますので、自由に周囲の方と語ってください。特に雲水と話す機会などなかなかないと思うので、色々話してみてください。この間は老師に直接質問をぶつけることもできます。要点をまとめて質問してみてください。

そして解散になります。床の間の掛け軸などを見たり、本堂のご本尊を拝観したりできます。

境内を散策することもできるので、天気がよい場合はカメラなどを持ってくるとよいでしょう。山岡鉄舟が寄進した石灯籠などもあります。

老師は坐禅会の時はさすがに厳しい雰囲気を維持していますが、それ以外では割に親しみやすいです。坐禅会以外でも行ってみるとよいでしょう。

禅は一度や二度坐っただけでは分かるものではありませんから、細く長く継続し、日々の生活にそれを活かすことが肝要のようです。

以上、私の体験からまとめた長徳寺坐禅会の話しです。ご参考になれば幸いです。

平成二十五年弥生十一日

不動庵 碧洲齋