今日は坐禅会の帰路にマックに立ち寄りました。
坐禅会の時は大抵、朝食は坐禅仲間とマックで語りながら取ります。
(ま、今日は所用があって一人で食べていたんですけど)
そこでちょっと思ったことなど。
24時間営業
便利です。有り難いです。とても助かっています。
しかし、そういうものを際限なく広げていくと、どんなことになるのか考えてみました。
三度三度の食事をしなくなる人が増える。
いつでも食べられ、例えばマックなら大抵の町にあります。
コンビニ、買い物の時、想像力をかき立てずとも、忘れたらすぐ買える。
注意力や想像力は欠けたりしまいか。
デジカメも1000枚ぐらい撮影しても問題なし。昔はフィルム写真だったからみんな慎重に撮影したものです。
ネット販売。便利ですし、私も希に使います。
常用しているものならいいかもしれませんが、そうでないものはいかがなものでしょうか。
便利になるということは何かどこかが犠牲になります。
困ったことに直接的でなかったり、短期的に見て大きな事でないことがたびたび。
それでいて、気付いたら致命的だったり。
うまい儲け話に乗らない人がいても、うまい便利話には乗る人は多いでしょう。
便利あるときは弁理してから用いたいものです。
平成二十五年弥生十日
不動庵 碧洲齋