不動庵 碧眼録

武芸と禅を中心に日々想うままに徒然と綴っております。

慶木のこと

我が家にはかつて松竹梅がありました。

区画整理で庭が削られてからは松が取り除かれました。

ちょうど、父が郵便受けから郵便受けを取りに行ったところ、松の葉で角膜を怪我したのを機に撤去する運びになりました。

自宅の西側、和室から見える位置には竹(矢竹?)が、南側、同じく和室から見えるところには梅が植えてあります。

数年前から梅の木が老化し始め、ほとんど枯れてきました。

それでも樹木の生命力たるやすごいもので、木の幹がほとんど腐っているのにどのようにして養分を運んでいるのか、先端にはちゃんと花が咲き、実が成ります。

とはいえ、毎年春になるとアブラムシやらなにやら付き始め、枯死間際という様相で、昨日とうとう伐りました。思えばこの梅も引っ越す前から根回しして持って来た植木のひとつでした。

幸い、我が家には新しい梅の木がすぐ隣に生えています。

これからはこの新しい梅の木が、我が家の慶木の一角を占めます。

また、空いたところには妻と相談して再度松の木を植えようと話しました。

伐った梅はつぼみがある枝を選り抜いて、花瓶に挿しました。

松竹梅は色々な意味で慶木と云われますが、個人的にはこのように解しています。

松=待つ、忍耐、。公なる樹木。無私であること。私の好きな句「歳寒くして松柏の凋むに後るるを知る」(孔子)より常緑樹の節操。

竹=同音語「武」より。我が名のひとつ「丈」。大丈夫たること。また築、畜、礎であり、備えること。同じく常緑樹の節操。

梅=産め/生め。寒中の微華。敢て厳しい環境で花咲く様。実は身体によい効果をもたらす。

三木揃ったところで、また己を正していきたいと思います。

平成二十五年如月二十五日

不動庵 碧洲齋