不動庵 碧眼録

武芸と禅を中心に日々想うままに徒然と綴っております。

七回忌に寄せて

40年以上も生きていると、悪夢だと思うことが何回かあるものだと思いますが、父が死んでから14ヶ月間ぐらいは人生最大の悪夢でした。自分がどれだけ弱かったのか、どんな人が自分を支えてくれていたのか、自分は何をしたかったのか、自分の存在意義は何だったのか、などなど、怒濤のように私を押しつぶして来ました。人生で悪いことがあそこまで集中したのは珍しい。

控えめに言っても良くあそこで自殺もせずに生き延びられたのか、全く神仏のご加護と私のことを本当に良く案じてくれた友人の皆様のおかげ他なりません。あの期間は人の優しさや人の残忍さ、無常さ、己の弱さなどが一気に現れた感じがします。今でも毎朝読経時には自分を救ってくれた全てに対して、あと試練を与えてくれた全ての事柄に対しても感謝を込めています。

父が急逝したのは6年前、私がドイツから戻ってきたその日のことでした。

心筋梗塞が原因のようです。

胸が痛いと言ったとき、自分で市民病院に連れて行き、緊急搬入口で下ろし、車いすに座ったのが父を見た最後でした。

その後、自分は地下駐車場に車を移動させて、上がってきたときはすでに終わっていたようでしたが、少し待たされた20、30分の間、不動真言を一心に唱えていた記憶があります。

今でも時折、市民病院のまさに父と最後に会った場所の前を通りますが、そのたびに記憶がよみがえります。

父の葬儀などでは武友やその他友人たちが駆けつけてくれましたが、今思い返しても妙にリアリティの欠ける不思議な感覚です。時差ぼけが残っていたのもあるかも知れませんが、母の時には死ぬまで半年の猶予があり、心の準備はできていましたが、人が急に死ぬとこうなるものかと思いました。

父母の偉大さが、死後に分かるというのはやはり子の不孝不忠なのでしょう。平凡に徹していた父の素晴らしさは、今になって痛感します。平凡に徹するぐらい難しいことはない。父が生きていた時は、どちらかというと母のように目立つ生き方、ハイライトのある生き方を目指していた気がしますが、父が死ぬと私の生き方は明らかに父の生き様に重なってきたものを感じます。

経済的な意味での豊かさは残念ながら父と比べると格段に劣り、家族に迷惑を掛けていますが、それだけに父や母の生き様から得たことは余すところなく息子に注ぎ込んでいます。幸いにして息子は智慧に聡く、私の思うところを良く汲んでくれています。人一人が生きるのではなく、先祖からずっと託され続けてきた想いが子孫に託されている、子を持つと多分誰でも感じることだと思います。それに比べると私個人など小さなもの、脈々と続いている流れに比べたら小さなものです。

さっき息子に問いました。

「ジイジは今、どこにいる?」

「ジイジは仏の世界になっているんだよ・・・」

やはり息子には仏のご加護が大いにあるようです。

平成二十五年如月十六日 父の七回忌に寄せて

不動庵 碧洲齋