不動庵 碧眼録

武芸と禅を中心に日々想うままに徒然と綴っております。

靖国神社で想ったこと 2

参拝後、遊就館に行きました。

幕末維新、日清日露戦争の資料はさすが。

私は特に日露戦争が好きなので、息子に熱を入れて説明します。

また、清国、露西亜の大軍を寡兵で撃滅せしめた明治大帝の采配をたたえ、明治時代の政治家軍人の素晴らしさを褒め称えました。

将軍、大名、侍の時代に生まれた人間が、世界を駆け回り、科学、戦争を制したという事実は何度考えても胸のすくような大偉業です。今の政治家達と同じ人種であることに驚きを隠せません。

階下に降りると第二次世界大戦大東亜戦争について。なぜどうして戦争を始めねばならなかったのか、よく説明しました。

米国が日本の隆盛を嫌っていた面もあったでしょうが、残念ながら昭和時代の政治家や軍人も明治に比べると数段劣っていたと考えざるを得ません。日露戦争当時、軍人、政治家、経済人、そして文芸人までもが超優秀でした。生まれた時代が江戸時代だったのに、戦争では世界でも最先端の武器を使いこなし、外交も今でも舌を巻くほどのものでした。翻って昭和戦前の軍人、政治家達は少々役不足です。特に軍人は日清日露で大勝した驕りが見えています。

奇しくも東郷元帥は連合艦隊解散の辞で「勝って兜の緒を締めよ」と述べたというにもかかわらず。

私は特攻作戦そのものは強大な敵に立ち向かうべく残された非常手段と考えていますが、特攻用の兵器を製造するに至ってはすでに破綻しています。指導者たちはすでに失格です。

そういう意味で、実は私は山本五十六が好きではありません。甘く見て真珠湾攻撃以後、戦略的には全然負けてます。東郷元帥に比べたら、格が違います。映画とかテレビでは戦争に反対しつつも・・・みたいなタッチで描かれていますが、要するに勝てませんでした。そしてあってはならぬことで、戦線で死にました。個人的には彼の個人の趣味でもあったばくち打ちの要素が高いような戦争だったと思います。よい司令官は戦争に勝つ司令官です。簡単です。

未来から見てみれば、日露戦争大東亜戦争の勝敗の勝因はよく見えます。しかし当時にあってはどちらも味方に数倍する敵と対峙していました。ましてや明治時代は何もかもが初めて、江戸時代の安寧から目覚めたばかりです。それを考えれば大東亜戦争の軍事指導者達のふがいなさは糾弾されて然りです。

息子もおとなしく色々見て回りました。

最後に来館者帳に何か書くと言って、息子は感想をかりかりと書いていましたが、お願いして見せてもらいました。

曰く

「武器とか作戦を良く準備しないで戦争すると負けることがよく分かりました。ぼくも学校に行くときは宿題とか学校の準備をしてから学校に行こうと思います。」

(基本息子は宿題などは忘れませんが、学校の準備は時々妻に叱られます。それを反省の念を込めて書いたのでしょう)

さすが我が息子!と笑えました。戦争は悲しい、戦争は悲惨だ、戦争は良くないこと、などと月並みのことを言ったら年間の来館回数を増やすところでしたが、よく見ています。戦争がカッコイイとか、よいことなどはアニメの世界で十分。そこから実生活に役立つ教訓を引き出せれば大したものです。

普通に戦争はいけません。特に現代では勝っても負けても国民に大きな迷惑がかかります。

ましてや日本では70年もの安寧の時代が続きました。実生活で戦争がどれだけリアルに関わるか、想像できないと思います。

私も分かりませんが、世界中からやってくる海外武友達には軍人も多いし、湾岸戦争時に留学していたので、戦死者の葬列も見ました。戦争があると社会福祉の予算が圧迫されるのも知りました。

経済的に相互に依存していればもっと悲惨でしょう。勝っても負けてもひどいものです。

それでも、どうしても戦うのであれば、私は支持します。非常時の民間人の徴用があればそれにも喜んで従事します。戦闘もOKです。武人ですからそれは思慮するまでもなく、一日本人としてそうあるべきです。私の祖父もそうでした。今、私は祖父の気持ちがよく分かります。だから迷いとか恐れとかありません。

しかし、今は、より政治力、国際協力で、あのご迷惑大国をなんとかコントロールせねばなりません。ゲームの世界のように消失させることはできないのですから。

そう考えたとき、もっともっと理性的、合理的に考えて、日本人ならではのやり方を編み出せたらと思った次第です。

平成二十五年如月十一日

不動庵 碧洲齋