不動庵 碧眼録

武芸と禅を中心に日々想うままに徒然と綴っております。

芸事の裾野を広げる

元来、芸事は一分野に於ける合理的、論理的な所作、技術、哲学を学ぶことを指すが、芸事の真骨頂はそれを骨子に裾野を広げ、仕事や家庭といった社会生活にまで影響を及ばせるところに奥義がある。いや、及ばせねばならぬ所であり、それ故に伝統芸能と昇華され、社会がいかに変わろうとも共生できている。その芸事だけしか見えないのは、ある意味、視野狭窄の状態で車を運転するようなものだ。そのうち事故になる。

先日、友人の話を聞いた。

本人が弓道の足袋を洗濯機で洗おうとしたところ、同門から「足袋を手洗いするか、洗濯機などで洗うか、その心意気が所作に現れる」と言われたらしい。別段、友人は身だしなみがだらしないわけではない。友人が辟易したのは、その同門の日常の所作がどのようなものか知っていたからだ。いくら芸事を神聖化しようとも、日常生活と全く釣り合っていない場合はその言葉は死んでいる。せっかくしている芸事も死んでいる。

技術と知識の習得に熱を上げた挙げ句、道を外れることはよく聞く。芸の技術と知識は芸の道を歩むための道具に過ぎない。そして道具は道端で折々使うべきものでもある。その技術と知識をして自らの視覚を狭窄させる愚は犯すべからず。伝統芸能を志す者はかくありたいものだと思った次第。

平成二十五年正月三十日

不動庵 碧洲齋