不動庵 碧眼録

武芸と禅を中心に日々想うままに徒然と綴っております。

日の丸の旗の下に

禅の世界では自らを空とか無の中に置くようなありかたを目指していますが、現実問題として誰かと相対したとき、自分のカラーを見せねばならぬわけです。私などは10代の頃から大言壮言が過ぎ、苛烈な言葉が祟っていたので、10年ぐらい前から大いに革め、ここに来てようやく、ぼちぼち効果が出てきた案配です。

世は21世紀、ネットに繋げば地球の裏側の人とも瞬時にコンタクトできる世の中です。飛行機を使えば行けないところはほとんどありません。30年前ならいざ知らず、外国人を見たことがない人などは少なくとも日本にはほとんどいないでしょう。

外国人というと言葉が通じないために敬遠してしまう日本人が多いですが、その割には世界的に日本はかなり評判がよいことで知られています。一般的なステレオタイプの意見ですが、外国人からすると完璧すぎるサービスと笑顔、でも意見を言わないので何を考えているのか分からない。ただしやっていることを見ていれば品行方正な民族であることは疑うべくもない。そんな感じでしょうか。

私自身、外国人同門に話す機会があればいつも、日本人はぺらぺらと自己主張をするよりも、黙々とやるべき事をすることによって自身を主張するのが本分と心得ている人が多い、と言ってます。言葉が通じなくとも立ち居振舞は言葉を必要としません。

他国民に比べると割に日本人は自分の背中に日の丸の旗が翻っていることをよくよく心に留めているように思います。最近は海外で良く眼にする中国人観光客は日本人の常識からすると全く常識外の人が多い。20年以上前にニューヨークでも彼らを見たことがありますが、それも全くひどかった。

欧米人にしてもそれぞれが個人をして楽しんでいますが、やはり日本人は心のどこかに、背中の日の丸を気にしている人が比較的多い。(あくまで相対的に、ですが)なんでも団体主義的なのがよいわけではありませんが、少なくとも日本人は周囲に迷惑を掛けることを良しとしないだけでも自慢できる習慣です。

英語を駆使して流ちょうに言って聞かせるのもいいでしょう。しかしやはり日本人としては立ち居振舞で外国人たちを圧倒させたいものです。言葉などと言う薄っぺらいもので装飾せず、真摯で誠実な、そしてシンプルな行動で相手を理解させ、納得させたいところです。

これから海外に行くにしても外国人観光客を迎えるにしても、そういう和のカラーをして徳の教化で世界の平和に貢献していきたいと考えています。

平成二十五年正月二十二日

不動庵 碧洲齋