不動庵 碧眼録

武芸と禅を中心に日々想うままに徒然と綴っております。

背中で語る

私はよく息子の背中を見ます。

息子が私室にいるとき、そっと中を見ていると、丁度背を向けて一心に勉強をしていたり、何か研究をしています。

(本人曰く、科学実験や科学調査だとか)時々、何かの模型を作っていたり、計算をしていたり、本を写していたりします。多分、宇宙開発に関連していることのようです。息子はそれをノートにまとめています。

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息子の「じっけんけんきゅう」ノート

今日も、ロボット塾に迎えに行ったときはまだ授業中で、やはり窓から見ると背中を向けて、熱心に課題に取り組んでいました。丈夫な構造はどのようにできるかという課題のようでした。レゴブロックのパーツを時折替えてみては、あれこれ試行錯誤していました。

まだまだ、頼りない、小さな背中です。親が守らねばならないのはもちろんですが、そう考えると私たち親が守るのは子供の小さな背中なのか、その背中が背負っている日本の、もしくは世界の未来なのか、そう考えると居住まいを正さずにはいられません。

小さい子供だから、自分の子供だから、そういう理由で昔は地域の子供は育ててなかったように思います。地域の子供達は日本の未来を担うべく次の世代として皆の共有財産だった、そんな気がします。地域のどこの家でも子供は大切にされてきました。私も近所のどこの家でも大切にされた記憶があります。むろん当時はそんな崇高な概念は言葉にできなかったのかも知れませんが、本能的にそれを知り、子供達を守り育ててきたのだと思います。翻って現代の寒い近所づきあいや、身の毛もよだつ親殺し子殺し、残忍冷酷な弱者への暴力を見ていると、そういう観点が完全に欠如しているような、そんな気がします。未来が見えていない、希望が見えてない、そういうものが見えない人が多くいる中で子供が育てられているような時代です。

幸いにも私の目には息子の小さな背中が背負っている、尊くも大きいものが見えます。見えているつもりです。いや、親でそれが見えない人はいないと信じたい。厳しく言えば見えていなかったら親としては失格、ではないでしょうか。自分の思い期待を背負わせる、子供の背中はそういう風にはできていません。他界した両親を想うとき、やはりそうではなかったように思います。私の両親の場合ですが、そういう程度の低いことではないような気がするのです。

それ故に、私は息子と語り合うときは真剣勝負そのもの。いい加減な答えもしないし、面倒くさがることもしません。一瞬一瞬が真剣勝負です。そしてそれが我が身を正し、行いを慎む原動力ともなっています。それあるがためにきれいな女性にも目もくれず(笑)、欲望にも負けず、いやな修行にも耐えているようなものです。自分自身のナルシズムだけでは到底やってられません。だからナルシストで私と似たようなことをしている人はすぐ分かります。(そして私はそういう輩がとても好きではありません) 

息子から見た私の背中はどんな風に映っているのでしょうか。男は背中で語れと言いますが、これは世の中で数少ない真理の一つだと信じています。息子が大人になってから、「親父の背中は大きかったなぁ」と、月並みなことを言われたいがために、今の自分にむち打っている、そんな感じです。

平成二十五年正月二十日

不動庵 碧洲齋