不動庵 碧眼録

武芸と禅を中心に日々想うままに徒然と綴っております。

国の基は教育にあり

文科省が学校の週6日制導入を検討しているというニュース。

子供はまず、何にも優先して学問をすべし。大歓迎である。

ゆとり教育」などというたわけたことを実践した連中こそまさに国賊と言って良いだろう。

私は欧米人も日本人も他のアジア人であっても、能力的には大差はないと考えている。つまりたくさん勉強をした方がよいと言うこと。故に本人に課せられたことは可能な限り学ぶべし。そしてその上で学習の効率を上げる為のカリキュラム、施設、資金、そしてそれを実際に使うことができる環境を準備するのが大は国家の、小は親の至上任務である。

日本は先進国の中に在って、唯一のアジア国家、有色人種である。また、唯一の仏教国でもある。先進国に名を連ねたのは一番最後だが、先進国の中では桁違いに古い伝統と歴史がある国家でもある。世界で唯一の被爆国、世界経済でもドル、ユーロと同格の円の国。こういう世界での立ち位置を子供たちに知らしめ、世界の人たちに負けないような学問を修める、これが日本人として明治以降在るべき姿だと思っている。

経済などと言うものは生き物だ。英国から米国、日本に移り、今や中国も先行きが暗い、次はインドか東南アジアか。そんなものを追いかける閑があったら日本人は長い歴史ですべき事を識るべきである。カネはいつでも戻せる。教育や品格は一旦失うと、取り戻すのに何世紀も必要になる。

憲法九条は改憲すべきである。が、その平和憲法にかける意気込みや良し。よって軍事力で他国と競うなどと言う全世代的な愚行は日本の近隣諸国だけに留め、日本の軍事力は武士の刀のようにあるべし。

故に日本の国威の基としてはやはり教育であるべきだ。今や子供の数も少ない。子供の数を増やすには安定をもたらすことも急務だが、少ない子供をバランス良く優秀に育てるのが教育の神髄というもの。

できなくはない。日本は明治以後、世界的にあり得ないような快挙を何度もしてきた。日本の伝統や教育方法が良かったから他ならない。

日本人は世界のどこに行っても「日本人」のレッテルは絶対に剥がれず、死ぬまでそれは敬意を以て観られる。オーストラリア人がアメリカ人になったり、カナダ人がニュージーランド人になるのとは根本的に訳が違う。日本人はよその国に行っても日本人なのだ。多くの場合、よく遇される。しかしそれは先祖たちが積み上げてきたものに他ならない。多分、それを潰すのは難しい。そしてその面目を潰すよりは積み上げる方が遥かに易しいはずだ。

できるだけたくさんの学問を修め、経験して社会に還元して欲しい。その意義は言葉にすると陳腐なものだが、社会に出て、海外に行き、子を育てるうちに日本人として生まれついた幸運と、深遠な文化を背負っている自分を、きっと知るようになるに違いない。

平成二十五年正月十五日

不動庵 碧洲齋