不動庵 碧眼録

武芸と禅を中心に日々想うままに徒然と綴っております。

人の行う為は「偽」!

「…の為に、という言葉がよく登場する。 「国民の為に」「皆の為に」「子供の為に」エトセトラ…。 この言葉は、使い方を誤れば刃物と同じである。 そして、厄介な事に、この「…のために」という言葉は、千鈞の重みを持って正論を堂々と退ける力を持っている。 更に悪い事には、この言葉は自分の考えが受け入れられない時、反論の重要な武器となる。 こうして「…のために」という言葉は、大概、誤った使い方をされるようになる。」

栗元 久男 「はばたけ天使達」

この方はある少年野球チームを通じて社会貢献をされている方だったかと思います。日本語教師時代、友人から本を借りた折、なかなか感銘を受けたので、書き留めておきました。確か21世紀になろうとする少し前ではなかったでしょうか。

私の知り合い(苦笑)で、すぐに「これは誰々のために言っている!」と言う人がいます。本人はバレていないつもりですが、私にはそういうのは頭隠して尻隠さずのレベルに感じます。誰かのためというなら、その人が受け入れやすいよう、納得するよう言うのが普通だと思います。が、「誰々のため」と正論を吐く人の大半は、自分が気に入らない、自分の思い通りにならないことを止めさせたり直させたりする場合に「誰々のため」という免罪符を利用します。「誰々の為」はなかなか反論させにくい、一見正論っぽい言葉です。

逆に本当に誰かのためにやっている人は「誰々のため」なんて言いません。少なくとも私が尊敬している方々の大半の口から「誰々のため」なんて聞いた事がありません。強いて言えば「自分のため」です。

故に何か事ある度に「誰々のため」などと押しつけがましく言う人は基本、減点対象者です。全員とは言いませんが大抵は偽善者だと思っています。本物の為の人は無限実行型ではないでしょうか。為為星人は間違いなく大半が口先だけです。

思えば人が行う為は「偽」ですね。つまりそういうことです。為というのは基本そんなレベルではないかと思います。

・・・と言うと少々きついので、少し。為為星人はとても視野の狭い、可哀想な宇宙服を着ています。自分の価値観、自分の正義、自分の信念という空気が満たされた宇宙服を着込んでいて、それを脱ぐと死んでしまうと信じています。異星にまで来て異星人と交流したいなら、その思い込み宇宙服を脱いで下さい、と私は言いたいところです。

ま、人によっては自我意識が肥大化してしまい、宇宙服どころかモビルスーツみたいになってしまっている人がいるのも事実なんですけどね。

踏みつぶされないように注意したいところです。(笑)

平成二十四年師走三日

不動庵 碧洲齋