不動庵 碧眼録

武芸と禅を中心に日々想うままに徒然と綴っております。

平成二十四年に想うこと

振り返るという作業はあまり好きではありません。

いつも前を見ている方が安全運転だからです。

とはいえ、時折振り返ることも悪くないのかも知れません。

そこが人の特権なのか業苦なのか分かりかねますが。

《武芸》

今年はやや稽古に力を入れることができたものの、思ったほどではなく無念。独り稽古が十分にできる程の庭がある由、今少し精進すべし。まだまだ手ぬるい。

10年かけてクリアしようと思っている課題にはまだ足がかりを作っている最中。要素があと一つ二つ揃えば加速しそうな気配もなきにしもあらずだが・・・いかに。気長にとは申せ、ゆるりとしすぎては好機も逃す恐れあり。

5月にとうとう師範の段位を拝受。

今まで逃げ回っていたツケが回ってきた感あり。ありがたいと言うよりは「観念せい!」の怒号が聞こえてきた気がする。

30代と比べて体感できるほどに体の動きに変化あり。意気消沈するヒマがあれば、それに合わせた動きを編み出すべし。もしかすると大課題にとっては好機となる変化やも知れぬ。そう思うことにする。

《禅》

静中動中の精進工夫がまだまだ足りぬわ!努力が足りなさすぎる。呆れるほどに。特に今年後半、師の坐禅会にほとんど出られず。本当にキサマはやる気があるのかと自問叱責。催事より修行、やはりこれあるからこそ碧洲齋たる所以である。まずはよく坐り、万事を全うし尽す。言を慎み、行に集中すべし。

《甲冑》

今年はいささか力を入れたが、思わぬところで足を取られた。善し悪しの判断はせぬこととする。変化のための摩擦と信じる。しかし各々が小我を振りかざし、偽善を叫べば明るくない。憎むべき輩がいたことは間違いないが、喜ぶべき仲間が増えたこともまた然り。よき仲間の力になれたことを嬉しく思う。

《学問》

ロシア語を本格的に始めるも、晩秋辺りより遅滞ぎみ。季節に応じて変わるのは良いことか悪いことか。人の意志などは弱いものだと自嘲ぎみ。強い意志には憧れる。重歳すると自然理解する学問の趣は格別だった。

《家庭》

万事に於いて行いと言葉を重ねて慎しむ。禍も無には禍を致せず。未だ愚かな所行に腹立つこと多々あるも、透過できることが多くなった。

《教育》

神仏の御加護篤く、息子の教育には全く不安がない。今はなるべく多くの時間を割き、相対する時は真剣勝負そのものと思い語ってきた。学問は重要だが、学問などより更に奥深く、核となる部分の育成を心掛けられたように思う。

来年の目標

《武芸》

来年は懇意にしている他流武友に指南を仰ぎ、剣術を革める。いささか違う道筋より当流を眺める必要を感じる。加えて武器を用いる独り稽古も余念なく行うことにする。

来春草加支部を開く機運あり。全くの初心者向けの道場として我が修行の一環となれば幸い。

《禅》

今以上の精進、動中静中共。こればかりはいずこにおいても出来る故。

《甲冑》

これはあくまで趣味と割り切り、武芸、禅、学問より優先度を下げる。とはいえこの方面の活動は我が国際交流活動の要でもある故、おろそかにもせず。また、経験、知識共に豊富な友人も多いため、楽しみたいことは事実。

《学問》

「今」なる流砂が掌隙より漏れ落ちるが如く、時は止まらず。これを心に刻み、より精進すべし。ロシア語はもちろん、より熱意を持って精進のこと。英語に於いても読み物を増やすべし。

《家庭》

多くを語らず。(笑)

《教育》

心身共に向上を図れる教育を。体を鍛え、解けぬ問いを雨あられのように問いかける。体験がまだまだ足りぬ。親子共々汗を流し事を為す。見聞を広めさせる。今年も海外に行き、世の広さを知らしめる。そして世界が広いようでは到底宇宙には行けぬことを感じさせる。

果つるまで

磨き貫かふぞ

武士が珠

未来を夢見る

珠玉を磨くに

我彼などのあるものか

平成二十四年

壬辰

皇紀二千六百七十二年

西暦二千十二年

師走二十八日

不動庵 碧洲齋