不動庵 碧眼録

武芸と禅を中心に日々想うままに徒然と綴っております。

早く、人間になりた~い!

昨日は妻が忘年会のために、息子を迎えに行き、幾つか買い物をした後に家で食事をしました。

食事の後にくつろいでいたのですが、息子がふと漏らしました。

「やっぱりさあ、俺、どうしてもベムたちには人間になって欲しいんだよ。だって、悪の心がないのにあのままなんておかしいじゃん。」

先日映画で観た「妖怪人間ベム」たちの境遇について、息子なりにどうしても納得がいかないようです。

「そうだよな。でも人間になったら凄い力は使えなくなるけど。」

「ん~、でもあんな姿のままじゃ可哀想だよ。人間のために一生懸命に戦っているのに。だからどうしても人間になって欲しいんだ。」

「ベムだけじゃなくて、俺たち人間はみんな、無いものねだりをするんだ。もっと格好良くありたい、もっと頭が良くありたい、もっと美人でありたい、もっとお金持ちでありたい。もしこうだったら、もしああだったら、みんなもしもの世界ばかり夢見ているから今を大切にしないんだろうね。」

「・・・」

「ベムたちは今のそのままの自分を受け入れて、今自分たちができることをしている。あれがない、これがないって言わない。もちろん人間になりたい気持ちはあるんだろうけど、そうなることで助けられたかも知れない人が助からないことを、ベムたちは恐れているんだろうね。」

「・・・」

「お前がベムたちが可哀想だと想う心、ベムたちが人間を助けたいと想う心、それが仏の慈悲なんだ。自分ではなくて他人。自分を計算に入れない他人を想う心を持ち続ける事が大切なんだね。」

「そうか、自分のことを考えると、欲しい心とか足りない足りないって言っちゃうんだね。」

「そうそう、もうあるものに感謝しないで、足りないものにばかり不満を言ったらきりがない。」

「本当に醜い事って見えないんだね。」

「そりゃそうさ、本当じゃない格好良さ、美しさはお金で作れるけど、本物はそうじゃない。心の問題だから。」

「心はどうやってきれいになったり醜くなったりするんだ?」

「さあな、本当は心はきれいでもなく醜くもないものかもな。般若心経にはそう書いてある。人がそう思い込んでいるからそうなる。」

「だよね、見えないんだからきれいだったり汚かったりするわけないよね。でも見えないのは困るな。」

「だからみんな、心眼を磨こうと努力しているんだ。大事なものは眼に見えない。女の子でも可愛い姿で汚い言葉を使ったり暴力を振るったらそれは本当じゃない。」

「ああ、いるいる、○○は女なのにすぐ暴力を振るう。」

「○○って可愛いの?」

「うん可愛い、でも凄く暴力ばかり振るう」(脈ありと観た!)

「もっと大人になってもそのままだったらまずいな。でも人は生きている内にかなり磨かれる。でも磨かれ方が悪いといい女にも悪い女にもなるな。」

「そういうものか・・・」

そのあとも延々と話しは続きましたが、「妖怪人間ベム」はなかなか抜けそうにない棘を息子に刺してくれたようです。そしてその棘を抜こうと努力し続ける限り、息子は人間としてすばらしい成長をしてくれると思います。個人的にはもっと続編を作り続けて欲しいですね。

平成二十四年師走二十一日

不動庵 碧洲齋