不動庵 碧眼録

武芸と禅を中心に日々想うままに徒然と綴っております。

衆議院総選挙 終わってみて

今回の衆議院選挙がやっと終りました。稲妻のようにあっという間だった感があります。高度経済成長期のように大過ない政治をしていれば民主党も与党を維持できたかも知れませんが、多少同情的な見方をすれば時期が悪かった。未曾有の大災害、中国の台頭、経済の没落、内政、外交、軍事、経済と問題山積でした。経済に関してはかなり前からある程度の予想は付きましたが、災害に関しては自民党であっても難しかったでしょう。なにせあまたの原発は彼らによって推進、建設されたのですから。中国の台頭もしかり、実入りがよくなると古人の徳や礼、といった古着を脱ぎ捨て、欲望のままに国家自体が暴走気味です。そこにきて戦後67年間、直接的に戦争という体験をしてこなかった、そして否定し続けてきた日本人にとって、常態そのままでは国そのものが危うくなるという危機感を抱いたように感じます。政府も普通に機能していない以上、国民は今までのように受動的常態ではいられないと感じたのでしょうか。やはり能動的非常事態と認識して自発的に動き出した感があります。政治感覚、軍事感覚については残念ながら他の先進国に比べてキレがあるようには思えないことが多々ありますが、日本の場合は近代以降、非常時を以て感覚を磨くような例が多くあります。「タラ・レバ・カモ」主義者達は、政府さえきちんと機能していたら、もし中国の軍事的台頭がなければ、備えがあれば大災害をある程度防げたかも、という想いで今の政府を見ているようですが、未来を見ようとする人はやはり能動的に動き、国家のために何かをしようとします。正直痛いほどに税金を搾り取られ、老後の生活さえ保障できかねないような体たらくではありますが、たぶん、国を憂いている人の多くは政府ではなく、国そのものの存続を慮っているのではないでしょうか。特に子を持つ親であれば、よりリアルに未来を見ます。見えます。今の日本に対して傍観者的な辛らつで皮肉めいた、愚痴のような言葉の羅列を並べる人の多くは親でないか、親になるつもりがないような気がします。ま、少々きつい言い方かも知れませんが、独り身の視点と親の視点はどんなに愛国の志があってもかなり違います。ま、あくまで私の感じた感想ですけど。

それと今回の投票率の低さ、中国人民にしてみたら何ともったいないことだと思ったかも知れません。たかが1票、されど1票、民主主義の選挙はそういうものだと思うのですが、選挙に来なかった人が多かったというのはある意味危険です。急激で強大な指導者が颯爽と現れて、なにがしか、すぐにしてくれるという幻想を持っている予兆のような気がします。これは颯爽と現れて人が悪いのではなく、政治的に正しい判断ができなくなってきた人民により多くの罪があります。他人に多くの権利を与え、願望と共に委託する。これは民主主義社会は万能ではありません。自縛自錠してしまうものでもあることを、よくよく識っておくべきかと思います。

基本的に政治に対してあれこれ書くのは苦手ですし好きではありませんが、今回は敢えて書いてみました。

さてさて、野党に降った自民党がどのような舵切りをするのかお手並み拝見してみましょうか。

平成二十四年師走十七日

不動庵 碧洲齋