不動庵 碧眼録

武芸と禅を中心に日々想うままに徒然と綴っております。

どうして武道を始めたのか?

昨日は稽古納めの日だったのですが、稽古に来たのはたった一人。

まあ本来、稽古などと言うものは自分の身と寸土があればできること、もしかしたら昔の武芸者にとって、稽古においては自分以外の人間はオマケ程度に考えていたのかもしれません。

稽古の後はもんじゃ焼きを食べに行きました。月島はもんじゃ焼きで有名です。

門下生は入門したばかりでしたので、話しは子供のこと中心に色々花が咲きましたが、ふと「先生はどうして武道を始めたのですか?」と聞かれました。

始める理由など一つしかないと思うので、簡単に「強くなりたいから」と答えました。

原始時代から男は強く、女は美しく、そういうものだと思っています。

別段、崇高で遠大な動機があったわけでもなし。逆にそんなモノは持ってはいけない。それらには多分足が付いているので、正しく強くなれば、自然に付いてきます(笑)。

時代下ってこのように複雑怪奇な世界に変貌すればその「強さ」「美しさ」の意義定義も変わると思います。動物たちと違って(ま、動物も強いだけではダメみたいですが)人間は男:マッチョ、女:ナイスバディ だけではいかんともしがたいようにできているようです。

あくまで私の定義ですが、技は流麗、知識も豊富、でもフリーター、なんていうのは現代の武芸者としては失格です。あくまで社会生産活動にどれだけ武芸の応用で貢献できているかというのが肝要です。そしてできたら結婚もすることと言いたいのですが、これはあくまでオプションと言うことで(笑)。

経済的、社会的、人格的に強いということは多分、割に原始時代から重要ではなかったでしょうか。無論、それとて若い頃は優秀なハンターだったとかそういうキャリアも重要だとは思います。だから原始時代のリーダーは恐ろしく優秀だったと想像します。狩人として優秀で、短命だった時代に長生きして、そしてリーダーとしての資質を備える。これだけあったらみんなひれ伏しますね。

年齢やその人の応じた「強さ」を見出し、それを極める。武芸における「強さの追求」はこれではないかと思います。

これは女性も然り、10代に追求する美しさと40代で追求する美しさが同じだったら美しい前に哀しいです。

男なら強さを、女なら美しさを追求する人は私の同志ではありますが、

武芸などと言うヤクザな芸に足を突っ込んでしまったばかりに、可愛いネーチャンを無心に追いかけたり、うまい話、美味しい話しを無心に追いかけたり出来なくなったストレスたるや、結局強いって何だろうと、私を混沌とさせるのでした。

平成二十四年師走十三日

不動庵 碧洲齋