不動庵 碧眼録

武芸と禅を中心に日々想うままに徒然と綴っております。

強いって・・・・一体どんな気持ちですか?

ボクシングマンガ「はじめの一歩」を初めて読んだのは留学から帰ってきたとき。近所の友人宅に遊びに行くとよく読んでいました。

その中で一番印象深い台詞は、一歩がボクシングジムに入門する前、べそをかきながら先輩に「強いって・・・・一体どんな気持ちですか?」と訊いたとき。

これは非常に興味深い設問に感じたものです。

日本語は英語に比べて心情表現がかなり豊かな、なかなか便利な言葉です。英文を書いていて時々英語の心情表現の貧相さが腹立たしく思うこともあります。

思うに強い気持ちは二つあります。

一つは対象に「勝つ」事。勝つ毎に強くなる実感があります。数値で出てきます。客観的です。勝ち進むことは容易ではありませんが、努力をすれば手に入る確率はとても高いと言えます。(例えばチャンピオンベルトというモノがこの世に存在している以上は)

もう一つは「克つ」事。敵がいません、数値化できません。最終目標も定めにくく、「勝った」からといって「克つ」とも限りません。

シルベスター スタローン主演「ロッキー」などはその好例でしょう。彼は「勝ち」を得られませんでしたが、「克ち」ました。あれは今見ても胸熱くさせる物語です。

社会に生きている以上、「勝つ」人がいれば「負ける」人もいます。しかし勝負が頻繁にあるわけでもなし。ただし原理的には世の中のみんなが「克つ」ことはできます。

一歩が尋ねたのは多分、「克つ」方の強さの秘訣を知りたかったのかな、と思います。気付いてしまってから死ぬまで一生涯付きまとう、もう一人の自分にいかにして克つか。別段武芸者に限らず、もう一人の自分に気付いて、そいつは倒すべき対象だと気付いた人であれば、誰でも秘技奥義を尽して、生涯格闘しているはずです。気付かない人、戦いを放棄した人は幸せです。それがいけないことかどうか、未だに私には分かりません。

強いということがどんな気持ちか、未だよく分かりません。死ぬまで分からないのかも知れません。何かの格闘技で1位だ何位だと高らかに自慢している人で、本当に強そうだなと思った人はあまりいないように思います。その人の所作を見て「コイツは相当デキる」と思った人は何人かいます。強さは所作や言動で分かるものだと心得ています。とてもありがたいことに友人などにそういう人が何人かいます。

強いという気持ちは分かりそうにありませんが、強くなろうという気持ちは分かります。それがあるからかろうじて日々を生き延びているようなものです。もしかしたらその探究は楽しいのかも知れません。武芸者なんてそんなものではないでしょうか。男だったら経済的、精神的、肉体的、知的何でもいいですが、強くなろうという気持ちがなかったらいわゆる草食系男子になってしまいそうな気がします。

女性も然り、美しいと思っている女性には美しさを感じないことしばしばですが、美しくあろうという女性は本当に美しく思うことが多いように思います。無論、年齢やその他条件によって「美しさ」の定義は違いますけど。

「克つ」方の強さは相対的ではありません。絶対的な視点によるものです。他に求めて得られるものではない以上、自己の探求他なりません。深く自己を掘り下げたところに一縷の心理の鱗片があるのかも知れません。

強いていうと、強いっていう気持ちは強くあろうと努力し続ける行為そのものなのかもしれませんね。

平成二十四年師走六日

不動庵 碧洲齋