このところ門下生の出席率があまり芳しくないのですが、ここでひとつ道場の在り方を再確認したいと思います。
1週間7日間168時間のうち、週1の人はわずかに2時間足らずの稽古。
つまり2/168、1/84。修行というのはこの分母を如何に少なくするかという命題です。
ただし稽古さえやっていればよいと言うものではありません。
稽古の長さは確かに向上する要素ではありますが、短くても向上率が高い人もいます。
日常生活と修行、稽古のせめぎ合いです。1週間はとにもかくにも168時間しかないのですから。
道場に通う回数が多いことは重要です。特に初心者や中堅。
道場にたくさん通わなくてよいという法はありませんが、私が知る限り優れた上級者は日常に稽古の要素を取り入れて日々をこなしている、稽古を意識した日常を送っている人だと言うことができます。
たまに道場に来て汗を流してやった気になっている人が一番進歩がありません。
来た回数や入門してからの長さは何も保証してくれないのです。
1日5分でも10分でも問題意識や目的意識を持ってやっている人の方が早く伸びます。
週に1.2日、数時間ずつ道場で汗水流しているだけの人は思っている以上には伸びません。
道場は顕在化した部分をチェックする場所、修正する場所であって、修練そのものの本体は日常にあると言っても過言ではありません。
この辺りの比率は平常時と非正常時で異なって然りですが、太平の世であれば、日常にどれだけ稽古の要素を取り入れられるかが重要かと思います。
平常時では刀の振り方よりも包丁の振り方、身の振り方の方がよほど大事です。
特に家庭持ちなら技は使えても家事に使えないと家では粗大ゴミになってしまいます。
配偶者に理解があればそれでもよいのでしょうが、我が家だったら目も当てられない惨状になってしまいます。
稽古を啓顧と読めば、道場稽古以外の時間も大事にできるのではないでしょうか。
平成二十四年霜月五日
不動庵 碧洲齋