インターネットなどで個人情報の取り扱いにあれこれ取りざたされていますが、最近思うのは別の意味での個人情報の取り扱いについて。
どんな個人情報かというと・・・
所作、立ち居振舞、しぐさ、話し方、服のセンス、着こなし方、話す内容、話す方向性、気遣い、持ち物、などなどです。何のことはない、普通の対人コミュニケーションのことです。
こういう御時世のためか、ネット上での個人情報の保護がどうのと言われますが、私的にはその人の所作、立ち居振舞、言葉遣いでかなりのことが分かってしまうと思います。多分、江戸時代とは言わず、ほんの20-30年ぐらいまではごく普通だったのかも知れません。
そう考えると、茶道や華道、武道を通じて身体の適切な操作に始まる立ち居振舞や言葉遣いの稽古などはやはり極めて重要な教育方法だったと思います。
コミュニケーションの割合において、ナマのやり取りが減ってきている今、特に若者たちは直接対面したときの情報の読み取り方が拙くなってきているのではないでしょうか。
長年武芸に手を染めていると、自然人を観察してしまいます。いい加減止めたいところではありますが・・・。
歩き方で体育系か文系か・・・
場合によってはその人がよくしているスポーツの種類まで分かることもあります。
手や腕の所作で性格がかなり分かります。
まあ体格でも分かりますが、これは別に普通の人でも分かるときは分かりますよね。
しかしそれは別に特別なことではなく、大きな音を立てている人が穏便でないのは間違いありませんから、正常範囲の音でその人がどんな人なのかが分かります。
究極的にはやはり音を立てない人は多分、かなりデキる人です。
そして割合に片付けられない人は武芸的に一ひねりが足りない人が多いと感じます。
空間把握能力というのは多分重要で、ものが多くて一見散らかっているように見えても、どこに何があるか分かる人は多分優れています。
私などはそういう記憶力が乏しいので、なるべく部屋をきれいにしています。
茶道や華道をしていて部屋が汚いとか片付けられないとかいうのは論外。
多分、そういう人は生活の中に稽古があるということに気付かないのだと思います。
そのうち気付けばよし、気付かなければ箱の中の芸事で一生を終えてしまうのでしょう。
人によって気付きの時期は違いますが、芸事が生活に溶け込んでいるような人は達人でしょうね。
伝統芸能の知識とか所作は生活の中にこそ活かされるべきもの。武芸も同じです。
私もそうなるべく努力はしてますが、技を覚えることに比べて遥かに難しい。
禅僧は修行中、何千とある規矩(決まり事)を覚え、そのうち無意識にできるようになると言います。
究極的な静かで滑らかな所作、動き、立ち居振舞もそんなものではなかろうかと思います。
言葉遣い。
私はブログやSNSでは和英どちらでもそこそこ書きます。
ネット上に限っては沈黙する訳にはいかないので。
実際の対人関係ではよほど親しくない限りは口数が減りました。
亀の甲より年の功でしょうか。それが分かるようになってきました。
口を開くときは慎重になります。
災いは口から入り口より出ると言いますから、慎重にならざるを得ません。
余計なことを言わなければ揚げ足を取られることもありません。
周囲にそんな人ばかりいたらたまったものではありませんが、少なくとも周囲に2.3人はそういう人がいるとなかなかよい修行になります。
忍耐力も付きます。忍耐力を付けることはどんな場合でもよいことです。
それと重要なのは否定文、命令文、批判、皮肉、中傷を極力減らすこと。
知り合いで会話の中でこれらが異常に多い人がいます。
そういう人たちと接していると、私のささやかなオーラが吸い取られそうです。なので黙っています。
多分ですが、こういう人は敵対行為の摩擦を喜びのオーラとして吸い取っているような、そんな気がします。
故に禅で空になる、無になるという指向性は間違ってないような気がします。
現実に敵対行為の摩擦を感じられずに、断末魔の叫びが聞こえたことがあったようにも思います(苦笑)。
持ち物や着るもの。
一般には嫌味なく高級品を持っている方がよいに決まっています。
高級品が高級品である所以はやはり物持ちするから。
例えば少し使い古されたような高級ブランド品を持っている人がいたら、達人かも知れません。ま、私はブランド品に関しては全く素人ですが。
機能美を追求したものを使い古している人も同じかも知れません。
少なくとも安っぽいものを使っていていいわけありませんが、高級品をいくつも持っていて、いつもピカピカという場合はその人を疑わずにはいられません。
英国などでは靴を見て人を判断するそうですが、いい靴悪い靴ではなく、身だしなみと言うことでしょうね。
私などは面倒なので大抵ユニクロメインで済ませてしまいます。
もう少ししたら作務衣しか着なくなるかも知れません。
この辺り、今ひとつ研究が必要かと。
話が飛びましたが、ネットと違って実際に会うと限りなく大量の情報を他人に知らせてしまいます。
一期一会ではありませんが、そういう気持ちで接すれば、なかなか得難い経験が得られるのではないかと、最近はよく思うのでした。
平成二十四年霜月二十日
不動庵 碧洲齋