15歳、高校生になったばかりの頃、初めて中国哲学に接しました。
衝撃的というか斬新というか、100万の兵を動かすためのエッセンスという意味では確かに説得力がありました。
兵家、法家、儒家、道家、墨家、などなど、およそ手に入りそうな諸子百家は読みました。特に兵家は孫子の孫の孫ピンや諸葛孔明が書いたと言われる諸葛亮集まで数種類買いそろえ、孫子に至っては多分20冊以上は持っていたでしょうか。
以後、高校3年間はほぼ毎日、中国哲学や中国史を中心に1日1冊は消費しました。卒業時に書籍を数えたらほぼ1000冊程増えていたので間違いないと思います。
中国史、中国哲学の書籍で一番好んで読んでいた著者は守屋洋先生。一番分かりやすく、読みやすかった。
高校生の時に抱いていた中国人観は多分、平安時代の日本人と同じだったことでしょう(苦笑)。守屋先生の中国人観は(今はどうか分かりませんが)専門分野ですから当然の肯定的でした。慎ましく儒教や仏教の教えを守り、大陸的な悠然さを持った人たちだと思っていました。何とものんきなものです。
残念ながら、80年代はどうだったか知りませんが、今の中国人はその昔の唐の時代などの雅やかなる時代の中国人とは全く別物と考えてよいような気がします。
とは申せ、古の時代、確かに偉大な思想家たちを多く輩出した歴史があります。多少なりとも顧みて、現在の酷すぎる国や民族の在り方を直して頂けたら、中国史マニアとしては嬉しく思う今日この頃です。
平成二十四年霜月十五日
不動庵 碧洲齋