不動庵 碧眼録

武芸と禅を中心に日々想うままに徒然と綴っております。

世の中にはうまい食べ物とありがたい食べ物しかない

先々週末と先週末はダブルで時代祭があり、土産として残ったお弁当を数個、頂いてきました。

最近は自分たちの町を盛り上げる祭りに予算を注入するのか、一杯お弁当を出してくれます。

家計的には大助かりです。

持って帰ってからみんなで食べようとすると・・・

「どうしてこういう弁当ってマズいのかしらねぇ・・・」

という方が約1名・・・。

私は適当に相づちを打ち、流しました。

先週末も弁当を持ち帰り、息子と二人で頂きました。

超渋滞でクタクタだったので、美味しく頂けました。

息子も美味しいといって食べてくれました。

その前の週に発言されたコメントをふと思い出しました。

「なあ、世の中には美味しい食べ物とどんな食べ物があると思う?」

「・・・まずい食べ物・・・」

「なるほど・・・このお弁当は多分、パートのおばさんやお母さんたちが作って、祭りの場所まで届けてくれたんだよ。この人たちは何でお弁当を作っているんだろう・・・」

「ん~お金をもらうため?」

「だよな。お金をもらうために真面目に働いて、多分そんなに高くないと思うけど、お給料を頂いているんだと思う。おばさんたちの子供のためにお仕事しているかもな。そうやって一生懸命に作ってくれた弁当はまずいか?」

「まずいって言っちゃいけないよね。」

「うん、じゃあ何だろ。」

「う~ん」

「パパは世の中にはうまい食べ物とありがたい食べ物しかないと思っている。だからうまくなかった場合は作ってくれた人たちの苦労を想像することにしている。だってお腹が空いた時に食べ物が食べられない人だってこの世の中には何億人もいる。その中でうちでは腹一杯食べられる食べ物がある。これがありがたくなかったら何だろう。」

「そうかぁ、そうだよね。食べ物はありがたいんだよね。」

「ホラ、このエビだって、熾烈な生存競争を生き抜いて(養殖かも知れませんが)殺されて揚げられて、食べられずに捨てられたらどう思うよ。」

「仏様に叱られる」

「だよね。よく分かってるな。誰でも何でも捨てられるために生まれてきた訳じゃないんだよね。だから食べ物や他のものでも大切にしような。」

たった一粒の米粒の中にも仏が宿る、うちではこんな風によく言います。

世は不景気なのに日本は飽食気味。我が家とて食料は無駄にしてませんが、時折賞味期限を遥かにオーバーしてしまった食料を見つけると声に出して謝りつつ捨てますが、それがイヤなので一寸ぐらいオーバーしても食べますし、基本無駄を出さないようにしています。

世はインターネットでちょっとした大手食料会社の工場の様子だって分かります。

それでも人は感謝の念を失いつつあります。

うまいまずいの相対世界の遊びではなく、あるかないかの絶対的視点で見据えられるような子供に育てたいと、いつも思っています。

平成二十四年霜月朔日

不動庵 碧洲齋